「過失犯」に問われて「全く過失はない」の異例

 無慈悲な残虐事件における被告の「無罪主張」が社会の反感を買うケースは少なくないが、交通事故を発端とする公判では珍しいだろう。そもそも、交通死傷事故を巡る公判では、危険運転致死傷罪のような「故意犯」に問われて無罪主張するならまだしも、過失致死傷罪という「過失犯」に問われて「全く過失はない」と主張すること自体が異例なのだ。10月8日に東京地裁(下津健司裁判長)で初公判があった東京・池袋の暴走事件は、そうした位置づけにある。

飯塚幸三被告 ©時事通信社

飯塚被告は「アクセルペダルを踏み続けたことはない」

 池袋で2019年、近くの主婦、松永真菜さん(当時31歳)と長女莉子ちゃん(同3歳)が乗用車にはねられ、死亡した。この事故で、自動車運転処罰法違反の過失致死傷罪に問われているのは、旧通商産業省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(89)だ。被告は19年4月19日、豊島区の道路を時速60キロで走行していたが、車線変更する際にブレーキペダルを踏もうとして誤ってアクセルペダルを踏み続け、時速96キロで交差点に進入。青信号の横断歩道を自転車で渡っていた松永さん母子をはねて死亡させ、他にも通行人ら9人を負傷させたとして起訴されている。

 8日の初公判の法廷に車椅子で入廷した飯塚被告は黒のスーツ姿。弁護人に助けられて証言台前で立ち上がり、「(遺族の)ご心痛を思うと言葉がございません。心からお詫び申し上げます」と深く頭を下げた。しかし、認否に移ると、「アクセルペダルを踏み続けたことはないと記憶している。車の異常で暴走した」と無罪主張した。

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 被告の無罪主張に、刑事裁判の被害者参加制度を利用して検察官席の隣に座っていた真菜さんの夫・松永拓也さん(34)と、真菜さんの父・上原義教さん(63)は天を仰いだという。情景を思い浮かべるに、「非情」という言葉が浮かぶ。刑事被告人に無罪を主張する権利があるとしても、被害者遺族の気持ちを思えば、胸が痛くなる。

捜査員と事故の経緯をたどる実況見分での飯塚氏。88歳の高齢ドライバーだった ©文藝春秋

「上級国民」だから?

 被告の主張に対して、検察側は「被告の運転ミスが原因」と反論した。冒頭陳述では、事故の約1カ月前の点検で被告の車のブレーキやアクセル機能に異常は確認されていなかったと指摘した。また、被告の車は走行中に異常が起きた場合は加速が制御される仕組みだったと説明し、事故時の記録装置にはアクセルペダルを踏み込んだデータが残っていたと述べた。

 今回の事故では、そもそも、被告が逮捕されなかったことに批判が集中した。飯塚被告は東大工学部を卒業後、1953年に旧通産省に入省し、89年に退職している。2人の命を奪いながら、社会的地位のある「上級国民」だから逮捕されないのかといった反発の声が広がり、悪印象が浸透した。

 被告が書類送検されたのは、事故から約半年後の19年11月。20年2月に在宅のまま起訴され、事故から公判開始までに約1年半を要した。その間、被害者遺族は被告が少なくとも「公判で罪を認める」日を待ち望んだだろう。しかし、答えは「非情な無罪主張」だった。