文春オンライン

可燃ごみ内グラスで手が血まみれに…清掃員が体感した「日本人のマナー」のリアル

2020/10/22

source : 文藝春秋 digital

genre : ライフ, ライフスタイル, テレビ・ラジオ

note

8年前はもっとマナーが酷かった

 記事の筆者であるフリーライターの橋本愛喜さんは、「本当のマナーとは、見えないところで人を思いやれることなのだろう」と結んでいる。私も全く同感で、見えないものに対して、思いやりを持つことが成熟した大人だと思っている。  

 8年前はもっとごみ出しのマナーが酷かった。私は次第に状況が良くなっていると思うが、恐らくその当時は単純にルールを知らなかった人たちが、ルールを覚え、マナーを守ってくれるようになったからではないだろうか。

 私事で恐縮だが、先日出版した『やっぱり、このゴミは収集できません』の中で、タナカリヨウスケさんに描いてもらったイラストにこういう絵があり、ごみを出す時にこういうことを想像できるかどうかが成熟した大人か否かの分かれ道なのではないのかと思う。

ADVERTISEMENT

 

 回収中に包丁が飛び出してきたことをテレビで話したら、娘が「危なかったね」と私のことを心配した。

 ごみ清掃員の一人一人に家族はいる。独身でも恋人がいたり、ごみ清掃員として従事する子供を案ずる親がいる。清掃員の仲間たちがいる。

滝沢秀一さん

 私も同僚がごみで怪我をしたり、スプレー缶などが破裂して重大な事故に巻き込まれたりしたら、心底悲しいし、ただ単に手間だからという理由で何気なく危険なものをごみの中に混ぜていたら腹が立つ。実際、タオルでぐるぐる巻きにされているスプレー缶が可燃ごみで出されているのを見たことがある。

 ごみを綺麗に出す人とごみを乱雑に出す人の格差はコロナ禍において、さらに広がったが、乱雑に出す人にこそ清掃現場の声を知ってほしいと思っている。

 マシンガンズ・滝沢秀一さんのエッセイは、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

文藝春秋

この記事の全文は「文藝春秋 電子版」で購読できます
ごみ清掃員の私が考える「日本人のマナー」
可燃ごみ内グラスで手が血まみれに…清掃員が体感した「日本人のマナー」のリアル

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文藝春秋をフォロー