昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/11/01

父にどう近づけるのかは常に考えています

ーー自然と父親と同じ職業に就こうという気持ちになられたのですか?

鈴木 家にあったステレオで音楽を聴いているうちに音楽が大好きになって、音というもの自体に興味を抱くようになったんですね。そうこうしているうちに父から頼まれて、高校時代からテレビのバラエティの検証企画に使われる6mmテープの編集などをしていましたね。

 大学もとりあえず応用物理学を専攻したので、ゆくゆくは手伝うことになるのかなとは思っていましたが、キヤノンの就職試験を受けて内定をもらったんですね。1993年だったかな。で、内定式にも出ていたんですけど、その頃に音声分析をめぐる環境が急速にデジタル化したんですよ。

 私は卒論もコンピュータを使って書いていたけど、父はずっとアナログ。それで研究所のデジタル化を助けてくれと言われて、キヤノンをお断りして研究所に入ったという流れ。タイミング的に、コンピュータが急激に発展し普及したのが大きいですね。

 

ーーそれから27年が経過していますが、その間に“父親の壁”みたいなものにぶつかったことは? また、それを乗り越えられたと思えたのはいつのことでしょう。

鈴木 強いて言うならば、壁は父のネームヴァリューですかね。いつまで経っても音声分析といえば鈴木松美という認識が皆さんにあるので、そこにどう近づけるのかは常に考えていますけど。

 壁を乗り越えるというわけではないんですけど、近いような出来事は研究所に入って早々にありましたね。甲府信金OL誘拐殺人事件(93年)の脅迫電話の音声データをコンピュータで一気に分析してみせたら、「これは凄いぞ。今後はデジタルだな。おまえ、これでやっていけ」と言われて、この仕事を続けていこうと強く思いました。

別人が演技して存在しなかった会話を捏造していたことも

ーー大きなものではない刑事事件や民事事件でも音声の分析と声紋鑑定をなされているとのことですが、刑事事件になると年に何件ぐらい依頼が来るのですか。

鈴木 平均したことはないですが、刑事事件は年に10件程度。民事のほうが数は上です。持ち込まれた音声を分析して裁判の証拠として出すわけですが、裁判を起こした方からの依頼が多い。

 

 ノイズを取って明瞭にしてほしいというものもありますが、この時の会議で私はそんなことを言っていないのに、他の日の発言を入れた改竄がなされているのでそれを証明して欲しいという“言った言わない”をめぐる案件が目立ちます。この日の会議で絶対に言った言葉が入っていないと訴えてきた場合は、削除された形跡を探すんです。

 ひどい場合だと、まったくの別人が演技して存在しなかった会話を捏造していたこともあります。「私、そんなこと言ってない」と言われて持ち込まれた音源で声紋鑑定したら、別人だと判明しました。