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36歳の選手をわざわざ呼び戻したのはなぜだったのか

「Number」編集部にもあまり重視してもらえない地味な鶴岡慎也ですが(しつこい)、「NPB史上初の選手」と言われる事柄が1つあります。2013年オフ、ファイターズからホークスへFA移籍して、そして4年後の2017年オフ、今度はホークスからファイターズへFA移籍。古巣に戻る移籍は時々ありますが、出たのも戻ったのも両方FAというのは彼だけなのです。

 2013年オフには正直、「鶴ちゃんとはもうお別れなんだな」と思っておりました。当時32歳、4年契約を終えた時には36歳になっている訳で、そのままホークスで引退だろうと決めてかかっていたのですよ。いやもう全くすみません。でもほんとにその時は、36歳になった彼が出場機会を求めて地元九州のホークスから出るとは、ましてやそれでファイターズに戻ってくるなどとは夢にも思わなかったのでありました。

 本人にも予想外の展開だったようで、翌年春季キャンプ中には「国内の超ライバル球団に移籍したんでファイターズから声がかかるなんて思ってもみなかった。若返りを進めている球団だなあと外から見ていても思ってたので」と語っておりました。まあ移籍の経緯はたぶん球団は歯牙にもかけてなかったんじゃないのかなと勝手に思ってます。そういう機微には無頓着というか無神経というか。でも確かに、ファイターズといえば若造だらけのチーム。それが36歳の選手をわざわざ呼び戻したのはなぜだったのでしょう。

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 と思っていたら去年から1軍バッテリーコーチ兼任ということになりました。捕手の兼任コーチといえば、すぐ思い浮かぶのは中嶋聡。彼の兼任コーチ期間は実に9年間もの長きに渡りました。選手を引退したのは46歳の時です。

 あるいは、もしかしたら、鶴岡慎也もそうなるのかもしれません。

 かつて金子誠がぶつくさ言っていたことがありました。後輩達にファイターズイズムを伝えてきたのに、みんな自分のキャリアを追求して移籍していってしまうと。彼としては、森本稀哲や田中賢介やそして鶴岡慎也をチームリーダーのバトンを託す相手として見ていたのでしょうに、次々と去ってしまってというぼやきです。

 でも、田中賢介も、そして鶴岡慎也も、帰ってきてくれました。田中賢介は今はスペシャルアドバイザーという肩書でチームの現場からは一歩ひいた立ち位置ですが、鶴岡慎也はベンチにいます。

 11月7日付日刊スポーツに「日本ハム鶴岡が現役続行意向 兼任コーチ来季40歳」という見出しがありました。来年もどうかよろしく、鶴ちゃん。そしてたぶん、そのあともずっと。

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