プロ野球では毎年、宮崎で行われている「フェニックスリーグ」の期間中に現役若手選手に対して「セカンドキャリアに関する意識調査」のアンケートを行っている。
過去9年分の結果をNPBの公式サイトで確認することができる。最新版の今年1月に公開されたもの(2019年調べ)では「引退後にどのような仕事をやってみたいか?」について、初めて「起業・会社経営」が1位(21.4%)となった。
2012年の「飲食店開業」と2018年の「一般企業で会社員」を除けば、「資格回復して野球指導者」がトップの常連だったが、若い選手たちの意識も少なからず変化をしているのだろうか。ともかく、自分のチカラで勝負をしてみたいという情熱と向上心はユニフォームを脱いだとしても忘れたくないのだろう。
ただ、一口で起業と言っても、職種は様々だ。
その中で今年、一人の若いホークスのOBが新たな人生のチャレンジを始めた。
6年働いたサラリーマン業からきくらげ農家に転身
中原大樹さん、28歳。
この名前を見ただけでピンときた読者の方は相当なホークス通だ。ホークスに在籍したのは4年間。育成ドラフトで入団し、背番号126からの卒業を叶えることは出来なかった。
巨漢でいかにもスラッガー然とした彼は長距離砲として期待をされていた。鹿児島県の出身で、鹿児島城西高校時代には通算36本塁打を放って2010年の育成ドラフト2位でホークスに入った。この年のドラフトと聞いて「お!」と気づいた方もやっぱりホークス通だ。
育成4位が千賀滉大、同5位が牧原大成、同6位には甲斐拓也がいたあの年だ。また、支配下の2位は柳田悠岐だった。
しかし、故障もあって自慢の打棒をなかなか発揮できなかった。三軍のカベを越えられずに二軍公式戦の出場はなく、2014年オフにユニフォームを脱いだ。
その後、大手引っ越し運送業者に就職。力仕事はお手のもので、近年は現場の副班長を任されており、まもなく主任に昇進かというところまで行っていた。
しかし、6年働いたサラリーマン業から転身したのが今年6月のこと。
中原さんが新たに始めたのは、きくらげ農家だった。
漢字で書くと「木耳」。キクラゲ目キクラゲ科キクラゲ属のキノコ。ラーメンに入っていたり、中華料理の具材だったり……。あの、きくらげである。
正直、「きくらげ専門でやってます」という農家の存在など今まで考えたこともなかった。興味津々で、彼に会いに行ってきた。
なぜ“きくらげ”に着目したのか
「お久しぶりです」と中原さん。なんだか現役時代よりも貫禄がついたような。ただ、あの頃よりも笑顔が輝いて見える。
――転身の経緯をまず知りたくて。
「前の職場も充実はしていたんですけど、かなり不規則で朝は早いし帰宅も夜遅くでした。4人子どもがいるんですけど、なかなか会えなくて。あとは元々自営業に興味はあったんです。だけど、高校からプロ野球の世界に入って、何も分からないまま始めるのは無理だと思ったので、一般企業で働いて世間の常識やノウハウなどを学んでからスタートしたいと思っていたんです」
――しかし、前職ときくらげ農家って接点が見えないんですが……。
「僕の祖父や妻の祖父も農家だったので、興味はあったんです。ただ、きくらげの栽培はもともと義父が始めようとしていたんです。その中で行政なども若い農業の担い手を欲しがっているという話も聞きましたし、ならばと思い立ったところトントン拍子で話が進んでいきました」
――きくらげに着目したのがすごく興味深いです。
「きくらげってラーメンや中華料理の脇役ってイメージじゃないですか。でも、メインでも美味しい食材ですし、なにより栄養価がもの凄く高いんです。やはり作るのならば、身体に良いものにしたかったですから。あと、国産はすごく少なくて、大体5パーセントくらいしかない。コロナの影響で輸入も難しくなっていますから、需要があるとも考えました。それに、早いサイクルで生えてくるのも魅力でしたね。比較的難しくない。温度と湿度の管理をしっかりやっていれば大丈夫なので」
しかも、中原さんは、スーパーでよく見かけるような乾燥モノだけではなく「生きくらげ」を取り扱っている。これが肉厚で、色も黒く輝いていて、とにかく希少なのだ。取材はビニールハウスの隣に構えている事務所で行ったのだが、部屋に掲げてあるホワイトボードには予約注文が小さな文字でびっしりと埋まっていた。
「菌床を手に入れるのが大変で、まだこれから増やしていくところなんです。もう少しすれば落ち着くので、あまりお待たせせずに出荷できると思います」