女優の木内みどりさんが亡くなったのは、今からちょうど1年前、2019年11月18日のことだった。ここに木内さんの独特な生き方や死生観を、見事に綴った文章がある。ひとり娘の頌子さんが、木内さんの遺作となった著書『あかるい死にかた』(集英社インターナショナル)に寄せたものだ。すべての人の終活のヒントになるであろう一編を、特別に全文公開する。
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父からの電話「頌ちゃん、お母さんが広島で亡くなったって」
2019年11月19日の午前11時頃、父からの電話が鳴った。そのとき私は会社で仕事をしていたし、iPhone の誤操作で有名な父からの着信とあって、例の無言電話だろうと通話拒否ボタンを押した。しかし通知が終わるやいなやまた着信。間髪入れずに拒否ボタンを押すと、今度は至急折り返すようにとだけ書かれたメッセージが届いた。
妙な予感がしてすぐにデスクを離れ父に電話をかけた。開口一番の「頌ちゃん、」、その読点の響きだけでなぜか続く言葉がわかってしまった。そしてわかってしまったとおり父は、「頌ちゃん、お母さんが広島で亡くなったって」と続けたのだった。
絵に描いたような秋晴れの日だった。父から詳しい話を聞き、震える声で「なんで?」と言ってはみたけれど、なんでと思うのと同じくらい、その時点でもう腑に落ちていた。人はいずれ死ぬ、私だって早晩死ぬ、と口癖のように言っていた母が本当に死んだことにも、それを知らされる日にやけに天気がいいことにも、少しも違和感がなかった。仕事に出かけた遠方でひとり寝ているうちに死んでしまったという出来事のすべてが母らしかった。
なるほどこれがみどりさんの嫌いなお葬式屋さんか
急いで父と合流して広島へ飛び、訃報を聞くなり神奈川から駆けつけてくれた友人と、母の広島での仕事に関係者として立ち会っていた友人と落ち合った。よく知っている人が見たことのない表情で会釈してきたり、たくさんの事務的な説明が過剰なほど丁寧になされたりした。それまでは両手で覆い隠せるほどの小さな球体だった母の死が、じわじわと溶け広がって地面にこぼれ、現実に浸透していくのを感じた。
ひととおりの手続きを済ませたあと、葬儀社の担当者から、故人にお線香をあげるように言われた。律儀に対応している父や友人たちの大人っぽさに感心する一方で、母とお線香の組み合わせに面食らった私は辞退した。葬儀社の人がそれぞれのお線香の刺し位置まで指示するのを見て、その人が悪いわけではないけれど、なるほどこれがみどりさんの嫌いなお葬式屋さんか、と思わず笑ってしまった。