文春オンライン

木内みどりの死にかたに、私は拍手したくなる――ひとり娘が綴った母の最期

『あかるい死にかた』「おわりに――『木内みどり』の完成」より

2020/11/18
note

母と同じ行動をしていることで心強くなった

 翌日、広島で火葬をした。着の身着のまま出てきた父と私はまったくの平服、友人たちも似たような服装で、見渡す限り喪服を着た人しか存在しない火葬場の待合室で、私たちは浮いていた。遺影のかわりにiPad を写真立てに置き、スライドショーでたくさんの写真を表示させた。

 母は広島に、クロムハーツのレザージャケットを着て行っていた。すべすべでふわふわの革がお気に入りの十数年もののジャケット。袖を通すたびにその着心地のよさを自慢してきては「お母さんが死んだらあげるからね」と言ってくれていたから、母の荷物にそのジャケットを見つけた瞬間に「あ、死んだからもらおう」と羽織って自分のものにした。火葬場でもそれを着て過ごし、確かにすばらしく柔らかくて美しい革を撫でた。多忙のあまり親戚の葬儀にコンバースのスニーカーで出席し怒られたという母の逸話を思い出して、なんだか心強くなった。

 骨上げのとき、小さな骨をこっそり食べた。無味乾燥という印象でただただ硬く、歯が負けそうになっただけで、特に感慨は湧かなかった。後日、母の兄にその話をしたら「松さん(母の母)が亡くなったとき、みどりも同じことをしてたよ」と言われ、また心強くなった。

ADVERTISEMENT

脱原発のデモに参加。帽子に自作ワッペンを付けて ©田村玲央奈

私の血液には母と同じやばさが含まれている

 母が世間の中心からずれていること、そしてそれを恥じていないどころか誇りにさえ思っていることは、娘としての私にとってあまり好ましいことではなかった。もうちょっと空気を読んで器用に立ち回ればいいのにと、子供の頃は特にそう思っていた。

 でも大人になるにつれ、私の血液には母と同じやばさが含まれていることに気がついた。母はかっこつけであえてずれていたのではなく、全身に流れるそのやばさに突き動かされてずれてしまっていたのだということも、私自身の体感とともに理解した。そして母が死んでからはそのことに勇気づけられるようになった。母と私は変な位置の同じ場所に立っている。

「みどりさんは天国でも忙しくしてるだろうね」「お盆にはみどりさんが帰ってくるね」。母を常識的な死者として扱ってくれる人と話すと、その思いやりはありがたく受け取りつつも、ちょっとうけてしまう。母はいわゆる天国の場所もお盆の時期もわかっていないと思う。