菊地将兵さん(35)が新たに農業に参入する突破口にしたのは、在来種だった。在来種とは、その土地で長年育てられてきた生物で、その土地土地の風土がつくりあげた作物などをさす。したがって、日本各地に在来種は存在していて、近年、見直され始め、取り組む生産者が増えている。
菊地さんは、地元福島県相馬市で古くから育てられてきたサトイモ「相馬土垂」に着目した。
菊地さんが農業を始めた理由
菊地さんが生まれ育った相馬市で農業を始めたのは、2011年5月のことだった。東日本大震災からわずか2カ月後のことで、東北地方はインフラをはじめ大混乱の中にあった。とりわけ福島県では、原発事故の処理が尾を引いていた。
菊地さんは、それまで東京でホームレス支援団体「てのはし」のボランティアとして炊き出しに参加し、一方でスーパーマーケットの万引きGメンとして働いていた。困窮する人々と対峙していた菊地さんは、貧困問題に関心を持つようになる。そんな中で気がついたのは、農業の大切さだった。食材となる米を寄付する農家を見て、食べ物こそ人々の命をつなぐものだ、その根幹は農業だということを実感したのだ。
就農を決意した菊地さんは、日本各地の農家で住み込みで働き、ノウハウを吸収し、地元福島県相馬市に戻る。そして、その直後に東日本大震災が起きたのだ。
「市役所に新規就農したいと申請に行ったら、『えっ、新規就農ってなんですか?』と真面目に問い返された。それぐらいこの時期に福島で新しく農業を始めるということは考えられなかったんです」
それでも、菊地さんは、畑をおこし、野菜をつくり始める。
しかし、丹精込めてつくった野菜は、まったく売れなかった。
菊地さんが振り返る。
「たとえば、他県のブロッコリーが158円で売っていて、僕も同じ値段で出したら、消費者は他県のものを買う。128円まで下げてようやく買ってもらえるかどうかという感じでした。それが悔しくて、じゃあどうするかと言ったら、他県にはない、ここ福島にしかないもので勝負するしかないと思ったんです」