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マンション建設で発見…秀吉が京都に築いた「幻の城」はどこにあったのか?

“京都の城”をめぐる旅 #2

2020/12/01
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 秀吉の没後は徳川家康が木幡山伏見城に入城したが、関ヶ原合戦の前哨戦によって落城したため、慶長7年(1602)に3代目の伏見城を再建した。現在、木幡山伏見城の本丸跡周辺に明治天皇陵がある。

 ちなみに跡地の一部にある天守風の建物は、昭和39年に伏見桃山城キャッスルランドが開園した際に建てられたもの。この場所に天守が建っていたわけではない。

伏見桃山城キャッスルランド跡に建つ、模擬天守。

マンションと化した、秀吉の伏見城

 実は平成27年(2015)度、ライオンズマンション伏見桃山指月城の建設に伴う発掘調査で、秀吉が築いた指月伏見城らしき城が発見され大きな話題となった。長さ36メートルの石垣や大規模な堀、秀吉ゆかりの桐紋の金箔瓦が見つかったのだ。

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 指月伏見城は、地震で倒壊した後はどこにあったのかも分かっていなかった。幻の城の、初の出土例というわけだ。同時期に秀吉が築いた、初期の大坂城本丸や聚楽第の工法とよく似ていることから、秀吉が築いた指月伏見城とみて間違いなさそうだ。現在は、マンションの西側に出土した石垣の一部が展示されている。

発見された、指月伏見城の石垣(平成27年撮影)。

さらに発見! 幻の「京都新城」

 京都では、令和2年(2020)にも世紀の大発見があった。秀吉が最晩年、京都御所の南東に築いたとされる城が確認されたのだ。史料が乏しく幻の城とされていたが、本丸を囲う石垣と堀、金箔瓦が初めて見つかり確認された。晩年の政権構想、死去後の政変を考える上での貴重な発見だ。

 城は、まだまだ解明されていないことが多いミステリアスな存在。天下人・秀吉の城ですら、ようやく物的証拠が発見されるほどなのだ。明日にも定説が覆るかもしれないのが、城のおもしろいところだ。

撮影=萩原さちこ

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 二条城をめぐる旅の模様は、「文藝春秋」12月号の連載「一城一食」に掲載しています。

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