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“マニアック芸人”タブレット純が語る、志村けんからもらった一言

僕のファンはみんな、隠れファンなんです

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文化祭でマヒナスターズを流したら、みんな混乱してました

――現在の芸にもなっているムード歌謡に触れるきっかけは何なのですか?

タブレット これも小学生の頃の話ですが、とにかくAMラジオの歌謡曲番組が好きだったんです。玉置宏さんの番組とか、タイマー録音しておいて、学校から帰って聴くのが楽しみな子どもでした。NHKでやっていた「にっぽんのメロディー」もよく聴いていました。日によって放送時間が変わるような不思議な番組だったんですけど、アナウンサーの中西龍さんのスローモーな進行が耳に心地よかったですね。

――タブレットさんは「ものまね」も得意とされていますが、持ちネタには若山弦蔵さんや大沢悠里さんといった、スローな語り口のラジオパーソナリティがいますよね。

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タブレット 大沢さんや若山さんのくぐもった音声、耳ざわりのいい声質、よどみのない話術。好きだからマネしているところもありますが、話芸をするものとしては憧れるというか、かっこいいなあ、という思いもあります。

――しかし、学校の友達とはなかなか共有できない趣味ですよね、麒麟児にしても、玉置宏にしても。

タブレット 文化祭でマヒナスターズを流したら、みんな混乱してました。

僕は「最後のマヒナスターズ」なんです

――「和田弘とマヒナスターズ」といえば、昭和ムード歌謡を語る上では外せないグループですが、タブレットさんの芸界デビューのきっかけはまさにマヒナスターズなのですよね?

和田弘。タブレットさんが「最後のマヒナスターズ」として活動した ©共同通信社

タブレット はい。27歳の時に勤めていた古本屋がつぶれることになって、仕事を探しているときに、たまたま演歌雑誌をめくっていたら「和田弘のカラオケ教室」という文言があったんです。僕がずっと好きだったマヒナスターズの和田弘に会える! と思ってすぐに通い始めたんですが、その時のマヒナスターズはけっこう揉めていて、結局和田さんと他のボーカリストが反目して解散になったんです。そんな中、和田さんは「新生マヒナスターズ」という看板で再起を図ろうとしていて、そこにやってきた僕がボーカリストとしてあれよあれよと採用されてしまった。僕は「最後のマヒナスターズ」なんです。

――最後のマヒナスターズメンバーとしてはどんな活動をしたんですか?

タブレット 新宿のホテルでディナーショーした時なんか、まだ新生メンバーが寄せ集められたばっかりでうまくいかないんですよ。で、和田さんは僕に「立ってるだけでいい」なんて言うんですけど、根っからのファンだったから演奏が始まると普通に歌えてしまって(笑)。