どんなジャンルにも、まずは「保守本流」がある。追随するなり、対抗するなり、本流からの距離感によって立場が決まるもので、日本美術にもそうした構造は存在する。常に日本美術の中心に位置する保守本流とは、室町〜江戸時代にかけて隆盛を誇った狩野派のことだ。
狩野派の作風を確立させた狩野元信に光を当てた展覧会が開かれている。東京六本木、サントリー美術館での「天下を治めた絵師 狩野元信」展。
大量発注に応じられる体制を生み出した名プロデューサー
主に16世紀に活躍した元信は、狩野派の2代目にあたる。始祖たる正信はまず中国絵画に学び、それを日本風に翻案して展開。室町幕府の御用絵師へと上り詰めた。正信を継いだ元信は、中国山水画の構図を研究し、独自に簡略化。同時に馬遠、夏珪(かけい)、牧谿(もっけい)ら中国(南宋)の大家の筆致をよく学び、狩野派の画法をつくり上げた。
書の世界に、字の崩し具合によって真書、行書、草書の区別があることに倣って、絵画においても真、行、草の画体区分をつくったのは元信だった。工房による集団制作の手法も築き、時の権力者からの大量発注に応じられる体制を生み出した。画力のみならず、プロデューサー的な才覚も持ち併せていたのだ。
元信が一門の地位を盤石にすると、孫にあたる永徳は信長と秀吉に仕えた。その後の江戸時代にも、狩野派はずっと幕府御用達であり続け、日本美術史で最大の画派として君臨した。
発展の礎を築いた元信が、狩野派の重要人物であるのは疑い得ないのだけれど、現存する作品が多くないこともあって、これまではなかなかスポットが当たらなかった。今展は全国から元信作品、関連作品を精力的に集めて、彼の画力と影響力をはっきり示す展示が実現した。
人々を惹きつけた「明快さ」
会場でまず目を惹きつけるのは、京都・大仙院の襖絵として描かれた《四季花鳥図》。確かな描写力で表した花や鳥の姿を、水辺や松のある風景に溶け込ませ、わかりやすい画面に仕立てている。この明快さは、元信が広く受け入れられた大きな要因だろう。
絵巻、扇絵、仏画など多様な作品を残していることを実例で多数見ることができるのは興味深い。また、兵庫・賀茂神社に伝わる《神馬図額》や、《細川澄元像》からは、元信が公家や町衆からの注文も受け付けて、新たな顧客層獲得に余念のなかったことがよく窺える。
馬遠《洞山渡水図》や夏珪《山水図》など、狩野派がお手本とした南宋絵画の展示もあって楽しめるものの、基本は元信や彼の工房による作品群がずらりと並んでいる。なるほど日本の絵画の保守本流とはこういうものだと、よくよく理解できる。これから他の日本美術を観る際には、元信の絵画がひとつの基準点として働いてくれること請け合いだ。