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おしゃれだった守道さん

 寡黙、いぶし銀、職人肌というイメージが強い守道さんだが、とにかくおしゃれだった。若手の頃、マネジャーの足木敏郎氏に「洋服代に毎月いくら使ってるの?」と聞かれた守道さんは「全部」と答えたという。若手女優との対談企画では、試合直後にもかかわらずダークブルーのスーツとシルバーのネクタイ、胸ポケットに白いチーフをのぞかせる正装で登場し、25歳とは思えないダンディぶりを見せつけた。

 洋服は「1回着たら、もう着ない」がモットー。ストッキングも毎試合新品を穿いていた。理由は「お客さんに見てもらうのが仕事だから」。使わなくなったストッキングは木俣達彦がこっそりもらって使っていた。若手の頃に乗っていたのは、発売されたばかりの真っ白なフォード・マスタング。足木氏は守道さんについて、長嶋茂雄にも負けない「派手な心」を持っていたと評している。

長嶋茂雄と守道さん

 ミスターはミスターを知る。ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄とは深い縁があった。東京六大学のスターだった立教大学の長嶋が県岐商に臨時コーチにやってきたとき、当時1年生だった守道さんの守備に目をみはった。大の巨人ファンだった(小学校の同級生による証言)守道さんは、長嶋の「前へ出ろ」という教えをずっと大事にしていた。

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 優勝パレードと長嶋の引退試合が重なってしまい、守道さんは後楽園に行くことを球団に直訴するがかなわず、電話で長嶋に詫びたのは有名な話。「夜、一人でニュースを見ながらボロボロ涙が落ちた」と守道さんは振り返っている。

 実はバックトスは長嶋茂雄を意識したものだった。現役時代も長嶋の派手なプレーに憧れていたという守道さん。野球殿度入りの表彰式ではこう語っている。

「巨人の長嶋茂雄さんのパフォーマンスに、同じようにパフォーマンスで対抗しても勝てるわけがない。だから、技でアピールしようと思った。口数が少ないと言われてきたが、淡々とプレーすることを逆に意識した」

ファン思いの守道さん

 寡黙なイメージの守道さんだが、ファンをとても大切にしていた。守道さんと接したファンはみんな「優しかった」と口を揃える。現役時代、ファンの小学生と年賀状のやり取りをしていたこともあった。

 こんなこともあった。あるファンの子どもが手紙を送ったところ、なんと守道さん本人から電話がかかってきた。守道さんはグラブの手入れの仕方、打撃の考え方、バットのグリップエンドについてのアドバイスを電話口で懇切丁寧に語った。子どもは緊張で声が出せず、守道さんも無口なため、途中で無言になることもあったが、最後に守道さんは「うれしいよ、ありがとう」と一言残して電話を切ったという。

 カッコいい守備を追求していたのも、ひとえにファンを喜ばせるため。それが守道流に花開いたのがバックトスだった。守道さんにとってファンの歓声が生きがいそのもの。唯一の評伝『プロ魂 高木守道』の著者・郷良明氏は、守道さんが現役時代に追求していたのは「見せる野球と勝つ野球を両立させること」だったのではないかと指摘している。それがミスタードラゴンズ、高木守道の真髄だったのだろう。

 もちろん、これがすべてというわけではない。プレーを見ていた人たち、実際にふれあった人たちには「私の守道さん」が必ずあると思う。それをどんどん語ってもらって、若いドラゴンズファンに伝えていただけたら本当に嬉しい。最後に、名球会などで守道さんと接点があった江夏豊の言葉を載せておきたい。

「実際のモリミチさんは実に気さくで、これほど笑顔の美しい人はいませんね」

【参考文献】
『月刊ドラゴンズ』
『週刊ベースボール』
『プロ魂 高木守道 名二塁手モリミチ物語』郷良明・著(中日新聞本社)
「スポニチアネックス」2011年10月16日
「日刊スポーツ」2020年1月18日
「週刊ベースボールONLINE」2020年2月11日
「web Sportiva」2020年3月17日
「中日新聞」2020年5月2日
『Dragons50 ファンと歩んだ栄光の半世紀』(中日ドラゴンズ)
『ドラゴンズ裏方人生57年』足木敏郎・著(中日新聞社開発局出版開発部)
『ザ・捕手 ~私が出会った監督・選手たち』木俣達彦・著(中日新聞社)

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