ミャンマーで発生したクーデターに対して国際社会から非難の声が上がっているが、日本では在住ミャンマー人たちもいっせいに声を上げた。2月1日には東京・青山の国連大学前に1000人ほどが集まると、3日には霞が関の外務省前に3000人の在日ミャンマー人が集結し、拘束されたアウンサンスーチー氏の釈放を訴えた。

1日、東京・青山の国連大学前で行われたデモにはおよそ1000人の在日ミャンマー人が集まった ©室橋裕和

日本政府への協力を日本語で呼びかけ

 印象的なのは、彼らはミャンマー語だけでなく、日本語でも演説を行い、シュプレヒコールを叫んでいることだ。

「日本政府はアウンサンスーチー氏を釈放するために協力してください!」

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「国際社会から軍に圧力をかけてください!」

 などと先導役が達者な日本語で呼びかけると、続いてデモ隊が、

「よろしくお願いします!」

 と唱和して、日本人のようにお辞儀をする。いまミャンマーでなにが起きているのか。なんとしても日本人にも知ってもらいたいという熱意を感じるが、それは軍事政権時代の「恐怖」を誰もが共有しているからだ。

ほんの10年ほど前まで続いていたミャンマーの「暗黒時代」

 ミャンマーでは1962年にやはり軍がクーデターを起こして政権を掌握。以降、長い「暗黒時代」が続いてきた。民主化運動はことごとく武力で弾圧され、1989年には民主化運動指導者のアウンサンスーチー氏が拘束、自宅軟禁された。

 強硬な姿勢を崩さない軍によって言論の自由は制限され、国民の政治への参加は認められてこなかった。そればかりか、軍政に異を唱えれば政治犯として容赦なく逮捕され、拷問や虐待が日常的だった。法的根拠のない拘束が横行し、軍に拉致されて行方が分からなくなった人も数知れない。激しい拷問は地下で民主化運動を行っていた人々やジャーナリストだけでなく、ときに子供や僧侶に対しても行われていたという。

政治的手腕を疑問視する声はありつつも、アウンサンスーチー氏はやはり「国母」として愛されている ©室橋裕和

 こうした人権侵害を理由に国際社会は経済制裁を科し、国内経済は低迷。ミャンマーは長らく世界最貧国だったが、その影では軍関係者が利権を握り、わずかな富を独占し続けた。

 そんな状況が、ほんの10年ほど前まで続いていたのだ。いま仕事や留学で日本に住んでいるミャンマー人たちも、その地獄のような時代を知っている。だからこそ、もう2度と軍政には戻りたくないという気持ちが強い。