安室は家族制というフィクションから覚めてしまったのか
こうした蜜月の終わりは5年前に訪れる。「二十周年のライブが終わったら、歌手を続けるかどうかも含め、人生を見つめなおしたい」と思い、それを平にも伝えていた。ところがそのライブ後、平は「安室は二十一年目、二十二年目も活動を続けていく」と宣言。おまけに安室と事務所の契約は自動更新であった。こうして二人には溝ができ、激しく諍うようになって、結局、安室が事務所を移籍することになる。
記事の最後、「私は歌手である前に、一人の子を持つ母親です」という安室の言葉が紹介される。すったもんだの最中に綴った言葉である。いつまでも、事務所の社長をオヤジと慕い、従う子供ではなかった。母親になることで、擬似的な家族制というフィクションから覚めてしまったであろう安室の機微に、オヤジは気付けなかったのかもしれない。
田代まさしの「僕の大好きな叔父さん」
オヤジに続いては叔父さんを。「田代まさし『ぼくの叔父さん』だった住吉会西口総裁」である。
9月半ば、大物ヤクザ・西口茂男が亡くなった。その十数時間後、田代まさしがツイッターに「僕の大好きな叔父さんが昨夜亡くなられました。僕達兄妹を、おふくろが亡くなって以来自分の子供以上に面倒をみてくださった叔父さん!」と記す。そこには、“叔父さん”と並んだ写真が付けられていた。
葬儀は家族葬であったこともあり、組関係者は少なかったという。その会場の親族席に田代の姿があった。
警察関係者は「一度目の懲役に行く前、田代は毎年麻布十番祭りで『マーシーの焼きそば』の屋台をやっていたが、その場所は住吉会の関係先。西口総裁が執行猶予中の田代に仕事を与えていた」と語る。
この暴排の時代にヤクザとのかかわりを明かして得することなど何もなかろうが、あえて自分から明かしたことで、騒がれることを気にすることなく、叔父さんの葬儀に出られる。苦しい時に手を差し伸べてくれた者への義理の堅さをみる。
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