近くのホテルに入って、裏口からタクシーに……
「俺には女なんかいやしないのに」
巽は当時を振り返り、苦笑していたという。しかし、尾行されていた当時は、銀行の通用門から出てはタクシーに乗り、予め数キロ先に待たせていた公用車に乗り換えたりしていた。こんな日常を巽は愚痴をこぼすこと無く続けた。
巽は長野県・蓼科に山小屋風の小体な別荘を持っていた。自ら車を運転しては、妻とともにその別荘で過ごすことが巽は好きだった。その別荘へも尾行はついた。
「一旦近くのホテルに入って、裏口からタクシーに乗って……、面倒なことだったな……」
剛胆な巽は他人事のように呟いていたが、そうしたことを間近に見ていた子供等には目に見えぬ恐怖が知らぬ間に植え付けられていた。巽が会長職にあった時代に起きた名古屋支店長射殺事件(1994年9月)はそうした恐怖を決定的にした。
イトマン事件からおよそ30年。少なくない時間が経過したが、身を以て恐怖を体験した家族から闇の勢力への恐れが消えることはなかった。それがゆえに、巽の逝去を公にすることを頑に拒んだのも、妙な輩が葬儀に来ては困る、という理由からだった。
イトマン事件の呪縛は未だに人の心を縛り付けていた。
「深い怨み」を抱える“伝説のバンカー”
巽の親族とは別に、やはりその呪縛に囚われている人物がいた。その人物は巽逝去の一報に触れ、フェイスブックにこんな書き込みをした。
「元住友銀行頭取の巽がやっと死んだようです。僕は彼には今も深い怨みがあります」
死者に鞭打つような書き込みをしたのは、元住友銀行幹部にして、楽天副会長だった國重惇史だ。
実を言えば、巽の死を間接的に伝えたのは筆者だった。現在、國重は喋ることもままならず、立って歩くことさえ出来ない状態にある。その國重を甲斐甲斐しく面倒を見ているある女性に筆者が巽逝去の一報を伝えたのだった。
2016年に『住友銀行秘史』(講談社)を上梓したことでも話題になった國重は、イトマン事件から住友銀行を救った救世主でもあった。事実、1人で金融当局、マスコミ、検察などを動かし、事件解決の道筋をつけた國重に対し、当時の頭取、巽も直に國重に頭を下げている。
「今回の君の奔走には感謝する。今後も、その馬力(頭脳)でがんばってくれ」(『住友銀行秘史』)
しかし、その救世主を銀行から飛ばしたのも巽だった。すでに家庭を持っていながら、磯田の秘書と情を通じ、子どもまで儲けていた國重の素行に激怒したのが巽だった。その怒りが銀行からの放逐の原因だとされた。