事業を手掛けては失敗する父と、成功を信じて疑わない母。その間で懸命に「お笑いの道」を目指す娘。破天荒ながら愛情の深い父との日々を綴った野沢直子さんのエッセイは「リリー・フランキー『東京タワー』に匹敵する親子愛の名作」と絶賛され、大幅加筆のうえ『笑うお葬式』として刊行の運びとなった。個性豊かな家族とのエピソードを、あらたに披露。
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『父と娘』と聞くとまず私は、自分自身と父のこと、私の娘と私の夫のことを思い浮かべる。
この二組とも父娘の関係性はさらっとしていて、私も私の娘も特にお父さんには執着しない派で、例えば「お父さんとデート」などと言って父親と腕を組んで二人でどこかに出かけるといったようなことは人生で一度もしたことがないし、娘と夫もそんな風にして出かけているのは見たことがない。だが、たしかに父からの愛情には包まれている。
私は今はアメリカに住んでいるのだが、毎年夏には二ヶ月ほど日本に里帰りして、おかげさまでテレビの仕事などさせて頂いている。
今は他界した父が亡くなる数年前のある夏、私が例年通りに日本に里帰りした時のことだった。日本に着いて数日後、父に会いに実家に行くと、父が私の顔を見るなり何かとても残念そうにため息をついて見せた。
「なによ?」
「あのなあ、直子。今、日本のテレビはな、毎日AKBっていうのばっかり出てるんだぞ。あんなにAKB、 AKBって、AKBばっかり出てたら、直子がテレビに出れなくなっちゃう」
私は「ええええ」と言って、椅子から転げ落ちそうになった。
かぶってない。私とAKBは枠が全くかぶってないのだ。それを、この八十近い父にどう説明したらいいのだろう。父がとても不安げな顔をして私の顔を見ているので、私はとにかく言った。
「あ、あのさ。なんていうのか、心配してくれるのはありがたいことだけど、AKBと私じゃ、芸能界でのポジションが全然違うからさ。心配することもないんだよね」と説明したが、どうも父は理解できないようで、次の年の夏も会うなり父はまた同じことを言っていたのでひっくり返った。
当時もう五十にもなろうという完全にばばあの自分の娘が、あんなミニスカートを穿いたかわいい女の子たちのせいでテレビに出られなくなってしまうと心配している。父の頭の中の、私とAKBのみなさんは同列に並んでいるのだろうか。AKBファンのみなさん、本当にごめんなさい。この父の愛情は嬉しいけど、絶対に同列じゃないですから。