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2021/04/14

「またひとり、俺を超えて行ったな」

 手元に、2軍イースタン・リーグの記録集があります。

 ここに厚沢さんが残している数字はまさにレジェンドです。通算49勝と投球回742回2/3はリーグ史上3位。史上最多の通算68暴投も、当時の左腕には珍しくフォークボールを決め球にしていたのだから勲章です。タイトルは最多勝2回、02年にはノーヒットノーランも達成している。これほどの投手がなぜ上では勝てないのか。まだ出来たばかりだった鎌ケ谷スタジアムのスタンドでは「ノミの心臓なんだ」としたり顔で話すオヤジもいたと記憶します。ただ2軍ではずっと先発だったのが、1軍に行くとリリーフの出番ばかりだったのが原因ではないかと、今でも思います。

厚沢氏の現役時代の野球カード ©今井豊蔵

 コーチとして何かがすぐれていなければ、ここまでチームに居続けることはできないはず。厚沢さんはとにかく選手を見ることに長けており、投球動作の変化に気づくことが多いそうです。最も有名なのは、プロに入ってきた当時の鉄腕・宮西投手が腕を下げるのを助けたこと。その他にも今は米大リーグで活躍するダルビッシュ有投手ら、数々の投手に「フォームのここが変わってしまっているよ」と気づきを与え、復調を助けて来ています。今はコーチとして相棒になった武田勝さんも、厚沢さんの「まずしっかり見る」というコーチ術を、指導者になるときに参考にしたそうです。

 人間、どんな形で求められるかなど自分ではわかりません。厚沢さんは実家の鉄工所を継ごうと工業高校に入ったはずなのに、野球でプロ選手にまでなりました。さらに現役を引退するときも「ストライクを投げる自信はあるから」という理由でコーチより打撃投手になりたかったそうです。それが前述のように、野球を見る目が開花した。選手が1軍初勝利を挙げると、こう口にするのがお約束だそうです。「またひとり、俺を超えて行ったな」。

 経歴を振り返ったとき、厚沢さんは1軍で勝てる投手と2軍の投手の違いを最も良く知っているはずです。現在日本ハムの先発ローテーションは上沢、加藤、あとはせいぜい新人の伊藤大海がやってくれそうというくらいで、外国人が合流するまでは残りすべて谷間のような状況。1軍と2軍の間の壁を一人でも多くの若者が乗り越えてくれないと、他球団に対抗することもおぼつきません。

 ひとりでも多くの投手に、気づきを与えてくれますように。そしてこれまでは佐藤義則、吉井理人、黒木知宏、木田優夫と名のあるコーチが試合中のマウンドに行き、後ろやブルペンに控えるのが役目だった厚沢さんに、光が当たる機会も増えそうな春です。

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