昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

整いました。“巨人ファン”の私ねづっちと“アンチ巨人”の父親の物語

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/04/30

 私は昭和50年2月18日生まれ、東京都日野市の出身だ。郊外ではあるが東京の出身で当時、実家で取っていた新聞は読売新聞とスポーツ報知。そしてテレビをつければ連日、巨人の試合が放送されていた。ごく自然に、物心がついた時には巨人ファンになっていた。

 ちなみに平成の大エース斎藤雅樹さんも2月18日生まれで、だからなんだという話ではあるが個人的にとても嬉しい。私が巨人ファンになったのは小学1年生の1981年、藤田監督、王助監督の時だった。だから王さんの現役時代を私は知らない。生まれるのがもう1、2年早ければ記憶にあったと思う。王さんの現役時代をリアルタイムで観ていないのは今でも残念だ。まるで建築現場のように……あ、悔い(杭)が残るってことです。

アンチ巨人の親父による数々の“迫害”

 ま、そうは言っても小学生時代の私には大好きな選手がたくさんいた。原さん、中畑さん、篠塚さん、江川さん、新浦さん、桑田さんなど。当時巨人戦の中継は常に高視聴率で大人気だった。テレビ放送が始まる19時前まではラジオで巨人戦を聴き、19時になるとテレビ中継を観て、そして放送延長でも試合が終わらなければ試合終了までまたラジオを聴くという生活だった。

 そんな我が家には1人だけ強烈なアンチ巨人がいた。親父である。私がいつものように巨人戦を観ていると「またお前こんなくだらないチームの試合を観てるのか?」「なんだ巨人勝ってるのか」と言って自分の部屋に行く。

 それならまだいいが、巨人が負けている時は「お、面白そうな試合だな。ちょっと観るか」と横に座り、ずっと「お、ピンチだな。こりゃまた打たれるぞ!」などと悪態をつく。子供心に巨人戦の時の親父は本当に嫌だった。

 親父のアンチ巨人ぶりはなかなかのもので、巨人帽をねだる私に近鉄バァファローズの帽子を買ってきた。そして小学3年生の時「生で巨人が観たい」と言う私に「よし! プロ野球を観に行こう」と後楽園球場ではなく西武球場の西武ライオンズ対阪急ブレーブスの試合に連れて行った。当時、私はパ・リーグの選手をあまり知らず、阪急の福本選手くらいしかわからなかった。その試合の記憶といえば、ライトを守っていた西武のテリーがエラーをしたことくらいだ。とにかく子供だった私はネクタイと靴下を渡されたような気分だった。そう、退屈した(タイ、靴下)。

 ただ、このパ・リーグの試合を観たことで私の野球観に変化が起きた。それまでの巨人一辺倒から他のチームの選手にも注目をするようになった。「野球は巨人だけじゃない」おかげで他チームの好きな選手もたくさんできた。プロ野球の視野が広がった。まるで成長するお店のように、視点(支店)が増えた。