実際、私は「哀愁でいと」を歌ってひっくり返った覚えがある。歌い始めから低めのメロディーが続き「こんなテンション低い歌だっけ?」と首をかしげつつ唸るように歌った。やっと「ないほうがましさ~♪」で盛り上がってきてヨシヨシと思ったら、サビで「バイバイ哀愁でいっ」と、「でいと」の「と」を発音するのも許されないくらい低くなってゲッ。結局、お経のようになり、途中でやめた。
マジか……。これを激しく踊りながら、スウィートに歌えていたトシちゃんって、凄い歌手なのでは。そう思い直したのである。そして改めて彼の他のシングル曲も聴き、彼の甘い声の威力にやっと気づいたというわけである。
桃子の歌声がエモーショナルな理由
菊池桃子も同じコースをたどった。「卒業―GRADUATION」にカラオケで挑戦した時、低くゆったりしたメロディーを持て余し、退屈極まりない「卒業」になってしまった。
が、桃子が歌えば春の風が吹く。彼女の曲すべてがあんなにエモーショナルなのは表現力があってこそ、声量の少なさ、音域の狭さをカバーして余りある、声の美しさと「曲を演じる」表情。その先に季節と風景が見えるのである。
最近では音程を全く外さず数オクターブをケロリと出す歌手もいる。なかには、跳んだり回ったりダンスをしながら、その超絶技巧を発揮するツワモノもいる。そんな時代だから、一人ステージでふんわりとたたずみ、「ムードと可愛さ」で成立させるソロのアイドル歌手は、絶滅危惧種といえるかもしれない。
だからこそ私は猛烈にそれが懐かしくなり、菊池桃子が聴きたくなる。
17歳で打ち立てた“武道館伝説”
私はこの「カラオケで田原俊彦と菊池桃子を歌い惨敗案件」で、そもそも「ヘタ」の定義はなんなのか、とまで考えるようになった。
アイドル歌謡の上手い下手のボーダーラインは、与えられた世界観の主人公になり切れるかどうかではないか。
表現力の巧みさと声質の良さでいえば、田原俊彦も菊池桃子も、ヘタどころか超一流である。
菊池桃子は1985年、当時、最年少(17歳)で日本武道館でのコンサートを敢行。そしてビートルズの公演の観客動員数を抜き(2万2000人超!)、入場できなかった観客も1万人超いたという。グループアイドルではなく、たった1人。派手なダンスもない、あの明らかにTV向けな囁き歌唱で、桃子は武道館を埋めた。
この菊池桃子武道館伝説は、『可愛いのプロ』は世界を救うパワーを持っていると証明した事件だと思う。