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東大や早慶ではなく、あくまで地元のトップにこだわった母

 転機が訪れたのは中学2年生の頃。徐々に自分の環境が他の家庭と違っていることが分かるようになり、反抗期も相まって母親に自分の意見をぶつけるようになった。

「高校の進路を決める時期になって、ピアノも声楽も本気でやっていたので音楽科がある高校を志望したんです。でも母親はどうしても県立トップの普通高校に行かせたがって、『あそこ目指さんて、どういうこと?』って迫ってきた。毎週のように学校の担任に相談に行くくらい入れ込んでいて、最後まで『トップの県立じゃないと……』って言い張っていた。

 文系理系の違いもよく分かっていなかった母の希望は、将来、私が地元でトップの大分大学医学部に入ることだったはずです。不思議なことに東大や早慶ではなく、あくまで地元のトップが母の望みだったんです」

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 最終的に鈴木さんは付属小中学校の同級生がほとんど行かない下位クラスの公立高校にあえて進学する。中学の最後の時期は模試の解答欄を全部埋めず点数を落とすという苦肉の策までとった結果だった。そして、その高校をドロップアウトするまで時間はかからなかった。

「高1の6月頃に初めての彼氏ができて、それからはアッという間でした。ドロップアウトして、ようやく『私の家って普通じゃなかったんだ』って、冷静に自分を振り返ることができるようになりました」

 鈴木さんは17歳で妊娠、18歳で出産を経験し、20歳で上京。銀座のナンバーワンホステスを経て起業し、今は自分で選択した人生を生きている。

「男の人無しでも生きていけるように」

「小中学校の同級生に、私と同じような境遇の子がいます。彼女は必死に勉強して首都圏の有名国立大学に進学しましたが、『家から逃げるにはそうするしかなかった』と話していました。私はそこまで頭もよくなかったから、彼女のようにはできなかったけど、後悔はありません」

 鈴木さんは大人になってから、母親に「私にどうなってほしかったん?」と聞いたところ、母親はこう答えたという。

「私は障がい者だから働くという選択もせず、人に依存して生きてきた。だからあなたにはいろいろやらせて、自立、自活をしてほしい、男の人無しでも生きていけるようになってほしかったんだと思うわ。結局、今のあなたの形になったんだから、よかったのかもしれんね」