小学校1年生の頃には、1人目の家庭教師が
「最初の習い事は2歳で始めたバトントワリングとリトミック(音楽と触れ合うことで、潜在的な基礎能力を伸ばす教育法)。バトンは自分からやりたいと望んだらしいんですが、正直、ハッキリした記憶はありません。あとは基本的に全部母親の勧めで、3歳からはピアノ教室にも通い始めました。小学校1年になると一人目の家庭教師がつくようになって、他にも習字と硬筆の教室、バトンが上達すると言われてバレエ教室にも通い始めました」
小学校3年生頃になるとさらに習い事の数が増えていった。これまでの習い事はすべて続けたままで、である。
「中学受験する子はこの頃から本格的に対策を始めるんですが、私の場合は二人目の家庭教師が家に来るようになりました。ピアノももうひとつ別の教室に通い始めて、これまでの教室は楽しく学ぶためのところ、新しい教室はコンクール対策のためという理由です。他にもエレクトーン教室、絵画教室、それからテニススクールを始めたのもこの頃だったと思います」
学校帰りに友達と遊んだ記憶はない
5年生になった頃には、さらに中学受験を見据えた進学塾と英語塾通いが加わった。特に英語塾は週3ペースで、鈴木さんは小学校のうちに英検3級を取得している。当たり前だが、小学校も普通に通っていた。
「小学校が終わるのがだいたい3時半頃で、そこからすぐ習い事です。夕方は芸術系や運動系の教室で、これが2時間くらい。それから少し休憩して、6時からはずっと塾の勉強で、これは毎晩10時頃までやっていました。なので、学校帰りに友達と公園に行って遊んだりした記憶は一切ないんです。
ただ、同級生の子たちも放課後は同じようにいろんな塾や習い事に通っていましたからね。さすがに私は多かったとは思うけど、それでも3つくらいは普通で、行ってない子の方が珍しかったくらい。だからこれが当たり前だったし、嫌になるようなことも、友達同士で不満を言い合うようなこともありませんでした」
鈴木さんの環境を主導していたのは母親だ。父親は鈴木さんが3歳の頃に離婚している。いわゆるシングルマザーの家庭で、母親は身体に障害も抱えていた。ただし母親の実家が温泉の源泉権などを持つ裕福な家だったため、経済的には十分な余裕があった。
「5LDKの大きな平屋に母親と二人暮らしでした。母は働いておらず、家事もほとんどしない人で、食事もたいてい外食か、よくてスーパーのお惣菜。塾のある時はお金をもらって塾で食べたりしてました。子供の頃に『何か食べたいものある?』って聞かれると、いつも『家で食べたい』って答えてたのを覚えてます」