そのマンション、100歳まで過ごすのに本当に快適ですか?
日本人の寿命は戦後一貫して伸び続けている。今から50年前の1970年における平均寿命は男性で69.31歳、女性で74.66歳だった。現在は男性81.41歳、女性87.45歳だ。今マンションを購入している現役世代は、おそらく100歳くらいまで生きることになるだろう。
35年の住宅ローンを組んで、定年退職時まで払い続けた結果得るものは築35年の古ぼけたマンションだ。そして定年は徐々に先延ばしされているとはいえ、退職後にまだ30年程度生きなければならないのが、どうやらこれからの日本人の平均像だ。一生懸命に買ったマンションにずっと住み続ける選択肢もあるが、そのマンション、100歳まで過ごすのに本当に快適なマンションだろうか。何に価値を見出すのかといえば金銭的な価値の値上がりだけというのは悲しすぎる。こうした人生すごろくをクリアしていくのに、「都心で買ったマンションは値上がりするはずだ」という常識には、その先の非常識が顔をのぞかせているようだ。
主観的な指標で判断する「非常識」への転換
今、世界はGDP(Gross Domestic Product)からGDW(Gross Domestic Well-being)への時代の転換期にあると言われている。すべての価値を量的な拡大、物質的な豊かさ、客観的な指標に基づいて評価される常識から、質的向上、実感できる豊かさ、主観的な指標で価値を判断する非常識への転換である。
土地があって、土地面積に容積率を掛け合わせて巨大な建物を建築(量的な拡大)する。その結果としてのタワマンをローンで思い切り背伸びして買う。都心タワマン居住(物質的な豊かさ)という誇りを持って生きる。そこまでしたらマンションは絶対に値上り(客観的な指標)してくれなければ困るのだ、という無理筋の常識はこれからの時代には通用せずに非常識に変容していくのかもしれない。
自分たちの生活を第一義(質的向上)に考えて、決して無理をせず、家計的にも優しい(実感できる豊かさ)、住んで楽しい(主観的な指標)、季節や都合によっては複数の家を住みこなす、そんなしなやかな住まい方がやってくる。これを「非常識だ!」と考えるのは自由だが、世の中は常識の先に非常識がある、このことはこれまでの歴史が物語っている。歴史は常に変わるのだ。