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 1992年のアルベールビル冬季オリンピックでは、スピードスケート女子1500mで銅メダルも獲得している。名前の「聖子」も聖火にちなんでの命名であり、オリンピックとこれほど縁のある人生を送っている人はそういない。

 政治家としての経歴も華々しい。1995年に参議院議員選挙に立候補し、初出馬で当選。最後のオリンピックとなったアトランタオリンピックへの出場は1996年なので、その時はすでに国会議員でもあった。

リレハンメル冬季五輪では4種目に出場 ©JMPA

 それ以降、現在まで当選回数は5回。すべて参院選比例区への立候補で、獲得票数は常に上位で危なげなく当選を続けている。

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 2016年には、女性として初めて自民党参議院議員会長に就任。そして2019年にオリンピック・パラリンピック担当など複数の役割を担う立場として初入閣。森氏の後を継いで組織委員会会長に就任したのは記憶に新しい。

典型的な“わきまえる”タイプ?

 橋本氏のキャリアを見れば、アスリートとしても政治家としてもエリートコースを完璧に走り切ってきた姿が見えてくる。にもかかわらず、人間としての個性が見えてこないのはどうしたことだろうか。

「森さんの言葉を借りれば、典型的な“わきまえている”女性だよね。言葉の力があるわけではないし、絶対にこうしたいと強く主張するタイプでもない。彼女に強いリーダーシップを期待するのがそもそも間違っていると思う」

ソウル五輪に出場した橋本聖子氏。当時23歳 ©JMPA

 前出の元新聞記者はそう言いつつも、橋本氏をかばってみせた。

「だからこそ、組織の中でうまくやって来られた部分は否定できないでしょう。スポーツしかやって来なかった彼女が政界入りしてどうなるかと思ったけど、森さんを筆頭に長老たちに可愛がられてここまで来た。とんがってもいないし、周りを見てスタンスを調整しながら、与えられた職務はそれなりに果たす。今も会長としての仕事を真面目にやってるんじゃないかな」

 しかし、橋本氏の出世を苦々しく思う人もいる。橋本氏はスピードスケートでの絶大な実績によって、2006年から2019年まで日本スケート連盟の会長を長く務めていた。しかしスケート連盟はスピードスケートだけでなく、フィギュアスケートも管轄していた。そのフィギュア界では、橋本氏の評判は極めて悪いのだ。フィギュア取材が長い現役の中堅新聞記者は、「あのときのことは今でも許せません」と怒りを露わにする。