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村上“ポンタ”もベタ褒め「こいつはいいミュージシャンになる」

 簡単に経歴を書いておこう。1956年生まれで東京都品川区出身。根っからのギター少年で、15歳の時にグランド・ファンク・レイルロードの来日公演を見たことから、ギターにのめり込んでいく。高校には進学せずプロのギタリストを目指し、ジャズ・ギタリストの松木恒秀のバンド・ボーイ(ボーヤとも呼ばれ、ミュージシャンの楽器運びや雑用などをする)としてキャリアをスタートさせる。そのバンド・ボーイ時代のことを、村上“ポンタ”秀一氏はこう書いている。

村上“ポンタ”秀一(インスタグラムより)

「(和田)アキラって、アシスタント時代から見どころのあるやつだったのよ。俺のタバコが切れてるのを見ればさっと買ってくる。温かいおしぼりを必ず出してくれる。俺のアシスタントでもなんでもないのにだよ。俺、いわゆるボーヤって自分のを含めて千人以上に会ってきているけど、こいつはいいミュージシャンになると確信できたのは、和田アキラを除くと一人だけだね。その一人はデビューする前に亡くなってしまったし」(村上“ポンタ”秀一著「自暴自伝」文藝春秋より)

他流試合のようなセッションを繰り返し「PRISM」結成

 今どき、立身出世などという言葉はあまり使わないが、この言葉どおりに修行を積み、プロのミュージシャンになったのが和田アキラだったのだ。他流試合のようなセッションを繰り返し、その中から自分と気の合うミュージシャンを集め、自身のグループを結成する。それがPRISM(プリズム)という名前のグループだ。

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PRISM

 当時は、チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーや、ベーシストのジャコ・パストリアスが在籍していたことでも知られるウェザー・リポートが話題となり、フュージョン/クロスオーバーの大ブームが沸き起こっていた。和田が目指したのも、ヴォーカルの入らないインストルメンタルを中心としたグループで、PRISMは日本で最初のフュージョン・バンドと呼ばれている。