社会民主主義(日本でいうリベラル)と新自由主義を融合し、発展させようとするマクロン氏に対抗すべく、ル・ペン氏は「国政に右派も左派もない、フランス国民を結集する」というスローガンを打ち立てて大統領選に臨んでいたが、彼女の軸足ははっきりと右、「国家主義」である。小池氏も、社会民主主義を「排除」したがっている「右」の女性政治家だ。
まず、この点で小池百合子はマリーヌ・ル・ペンに「そっくり」である。が、それだけではない。むしろ、2人が「そっくり」な理由はそれ以外の部分にある。
第一には、民衆の不満をうまくくみ取り、聴衆を魅了する話術で、人々に熟考させることなく、「理解と納得」を得て「風」をつくる術に長けているという点だ。
私は「文藝春秋」(2017年5月号)で、ル・ペン氏へのインタビューを行った。奇しくも同号に、小池百合子都知事が「石原慎太郎の嘘、豊洲移転の判断」という手記を寄せている。これを読んで、「2人は似ている」と思っていた。小池氏の手記は、「文藝春秋」(2017年4月号)に掲載された石原元都知事の手記への反論である。じつに、歯切れがよく、気持ちいい。言っていることはいかにもまっとうである。
ル・ペン氏も批判がうまい。弁舌さわやかで、しかも、父である前党首ジャン=マリー・ル・ペン氏のように「移民がいるから失業する」などと露骨なことはいわない。今年2月、彼女は中東レバノンを訪問した際にイスラム教徒の女性が着用するスカーフを拒否したが、その理由を「男女平等などを守るため」と述べた。それだけ聞くとなるほどと思わされる。
そして、小池氏とル・ペン氏はともに、女性が立ち向かっていくというモチーフを活用していた。小池氏が衆議院解散前に立ち上げた「希望の党」は、小池氏を彷彿とさせるミント・グリーンのツーピースを着た後ろ姿の女性が、ベテラン議員らしき男性たちからの罵声をはねのけ、「さらば、しがらみ政治」と声高にマウンドへ上がっていくようなイメージの動画を公開中だ。ル・ペン氏は、「私は女だ」「母親だ」と強調したうえで、行動し、ヨットを操縦して海の上に出て行く姿を、プロモーションビデオのように仕上げていた。