死の前日に妹に託した「膨大な書類とパソコン」
不倫の証拠を集めた康平さんは9月、弁護士を通じA子さんに通知書を送った。
離婚の条件は、「(1)子供の親権」「(2)香月氏と連帯して慰謝料500万、調査費用、弁護士費用を払うこと」「(3)康平さんの一切の財産上の請求権を放棄すること」だった。しかし、A子さんは康平さんの要求を受け入れず、離婚調停へと発展した。
「A子さんは自分の素行が調査されているとは思わなかったようです。自身の不倫は認めたのですが、親権は譲りませんでした。兄としても慰謝料や損害賠償請求は二の次で、まずは親権を取りたかった。A子さんは、兄が『子供に暴力をふるっていた』と虐待を主張し始めた。そして、弁護士を通じて兄に対し、子供との接見禁止を通達してきたのです。
でも、私や家族、友人がみても、兄が子供を虐待することなどありえないんです。子供が悪さをしたとき、相手に怪我をさせたときは厳しく叱っていたときもありましたが、それは親として当たり前のこと。それは子供たちも理解していたし、何より子供たちはパパが大好きでした。調停は平行線でなかなか進展せず、子供と会えない日が続き、兄は苦しみ、どんどん弱っていきました」(康平さんの妹)
コロナ禍も影響していた。年末、正月、春休み、妹や親族は康平さんの様子を見に行こうと考えていたが、2度目の緊急事態宣言の影響で北海道行きは中止となった。自粛が続き、同僚や友人とも交流が減り、康平さんはマイホームに独りきりで過ごすという日が続いていた。
妻に裏切られただけでなく、不倫相手は自分と同じ自衛隊OBで、地元の有力者。疲れ果てた康平さんは「こどもの日」の翌日、5月6日明け方に首を吊り、命を絶ってしまった。
しかし、康平さんは自死する直前、これが“抗議の自殺”であるという遺志を明確にするため、“ある行動”に出ていた。
前日の5月5日、膨大な書類と自身のパソコンを、妹の自宅に宅配便で発送していたのだ。
(#2へ続く)
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5月22日(土)21時からの「文春オンラインTV」では、担当記者が本件について詳しく解説する。
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