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日記に残していた「子供に最後に会えた日」

 さらにノートには、康平さんが書いた“日記”も含まれていた。康平さんが子供に偶然、会えた日の様子も記されていた。

〈私が××(※量販店の名前)で商品を見ていると、横に空のカートを押したB男(長男)が立っていました。数秒見つめ合っていると、B男が棚の陰にいたC子(長女)に「C子、パパがいた」と言いながら棚の陰に入りました。私がC子がいる通路を見てみると、そこには妻とC子がいました。私は妻に「お願いだから少しの間だけ子供たちをギュッとさせてくれ」とお願いしました。

子どもの絵 ©文藝春秋/細田忠

「C子おいで」と呼びかけた所、つながれていた妻の手を振りほどき、私のところに抱きついてくれました。数秒間抱き合い「元気だったか?」と声をかけるとC子は泣いていました。妻は機械のように「早くー」「行くよー」と繰り返していました。C子とはなれ、B男に向かい「B男おいで」というとB男もかけよって抱きしめてくれました。「B男も元気だったか?」と聞くと、泣きながら「うん、うん」と言ってくれました。2人に「元気でがんばれよ」と声をかけ3人は出口に向かいました。棚の陰から3人を見送ると、それに気づいたB男が手を振ってくれました。妻の様子をうかがい、みつからない様に何度も見えなくなるまで手を振り続けてくれました……。〉(2020年11月23日の康平さんの日記より)

 これが、康平さんが子供たちと顔をあわせた最後の日だった。

東千歳駐屯地 ©文藝春秋/宮崎慎之輔

「家族会の会長が、なぜ他の家族を傷つけるのか」

 葬儀で喪主を務めた康平さんの70代の母親は「文春オンライン」取材班に、次のように胸中を明かした。

「康平は活発な子で、スポーツも得意で、サッカーで全道大会に出たこともありました。今の技官の仕事も誇りを持って働いていて、毎日遅くまで、資格をとるために勉強していました。几帳面な性格だから、亡くなった後に残されていた家に行っても、私たちに迷惑かからないようにって、部屋も荷物もきれいに片付けられていた。死ぬ準備まで一生懸命頑張らなくてもよかったのに……」

康平さんの自宅の書斎 ©文藝春秋/細田忠

 母親が康平さんから妻の浮気を聞かされたのは昨年の夏前のこと。相手が千歳市議会議員の香月氏だと聞かされ、耳を疑ったという。

「最初はてっきり(不倫相手は)香月氏の息子さんだと思いました。香月氏は、私とほとんど同年代ですから。自衛隊の家族会の会長もしているので、私も知っていました。何であの人がそんなことするんだと思って、もう一度、『息子のほうなの?』って聞いたら、康平は『違う。ジジイだ』って……。

千歳市内にあった香月氏の看板 ©文藝春秋/宮崎慎之輔

 A子さんにも責任はありますし腹もたちますが、私はあの人(香月氏)のことは許せません。家族会の地元の会長をしていて、なぜ他の家族を傷つけるのか。こういう人が公人として、ボスのように地元で扱われているのが許せません」