財源の裏付けのない子ども支援政策は、かえって将来世代の負担を増やす
政策的な意思決定が、最終的には個々人の価値観やイデオロギーに基づいて選択されることは否定されるものではない。しかしどういった政策を進めるとしても、ファクトやエビデンスについて合意をしたうえで政策論議を行うことが不可欠であり、諸外国ではそのための仕組み・制度作りが進んできている。
アメリカのオバマ前大統領は「大きな政府でも小さな政府でもなく、機能本位の賢い政府を目指す」と主張していたが、大きな政府であっても小さな政府であっても、機能的で賢い政府でなければ意味はない。諸外国では、エビデンス・ファクトの重要性が党派を超えて共有されており、アメリカにおけるEBPMの有識者会議は民主党と共和党の共同提案によって作られたものである。
イギリスでも、労働党から保守党に政権が交代したとしても、EBPMは引き継がれており、その重要性についてはコンセンサスが形成されている。
翻って日本の政党論議をみると、ファクトやエビデンスに立脚した議論が著しく乏しいと言わざるを得ず、イデオロギー対立に終始してしまっている感が拭えない。教育支援の重要性は論をまたないが、どのような対象にどういった支援を行うかによってその効果はまったく異なってくるし、効果が乏しければ財政赤字だけを増やしてしまうことにもなりかねない。
筆者らはかつて、民主党が提案した「子ども手当」が導入されることによって、世代間の受益と負担がどのように変化するかを試算したが(横山・小林 2010)、そこで明らかになったのは財源の裏付けのない子ども支援政策は、かえって将来世代の負担を増やすことになるという事実であった。
多くの代表的な研究(Hansen and Imrohoroglu 2016やBraun and Joines 2012など)は、消費税の増税のみで日本の財政の持続可能性を確保するためには税率を30%程度かそれ以上にまで引き上げる必要があるとしている。もちろん、消費税率を30%に引き上げることは現実的だとは言えないが、その程度の財政収支の改善を行わないと持続可能性が確保できないという事実は非常に深刻である。
少子高齢化および人口減少と巨額な累積債務を前提とすれば、この国がとり得る政策的な選択肢の幅は想像以上に狭い。「高福祉・高負担VS低福祉・低負担」といった政策論争はもはや日本では成り立たず、せいぜい「中福祉・高負担VS低福祉・中負担」の議論にならざるを得ない。いずれの選択肢も「福祉水準<負担水準」とならざるを得ず、政治家にとっては論議を避けたいテーマである。
しかし団塊世代が70代を迎える中で、イデオロギー論争で空費している時間はこの国には残されていない。エビデンス・ファクトに基づく政策論議を行うことを超党派で合意したうえで、その基盤を具体的に作り上げていくことが不可欠である。
【参考文献】
・横山重宏・小林庸平(2010)「世代間格差の現状と消費増税・子ども手当て政策のシミュレーション分析」MURC政策研究レポートhttp://www.murc.jp/publicity/press_release/100901_01.pdf
・Richard Anton Braun, and Douglas Joines (2012) "The Implications of a Greying Japan for Public Policy." Mimeo.
・Gary Hansen and Selahattin Imrohoroglu (2016) "Fiscal Reform and Government Debt in Japan: A Neoclassical Perspective." Review of Economic Dynamics, 21, 201–224.