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シナリオ学校から「残りは授業料要らないから卒業しなさい」って

―― 具体的に脚本を書くというのが将来の夢になっていったのはいつ頃ですか?

小林 中学ぐらいですかね。脚本家という職業を知って、シナリオ学校もあるんだと知って、それで、通信教育を始めたんです。

―― 通信教育は高校からですか?

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小林 結構長いことやってたんですけど、通信教育なのでどうしても途中で投げ出し気味になって。で、追加でお金を払うのもだんだん大変になってきたのでほったらかしにしていたら、残りは授業料要らないから卒業しなさいって学校側が言ってくださったんです。

 

―― じゃあ、才能が見込まれてたんですね。

小林 あ、そんなことはないと思いますよ。結構長くやったんでかわいそうだったんじゃないですか(笑)。

―― どんな課題が出されるんですか?

小林 テーマが毎回決まっていて、ペラ……脚本って400字詰めじゃなくて200字詰めの原稿用紙1枚を「ペラ」って数えるんですけど、ペラ20枚のシナリオを、テーマに合わせて書くんです。それを添削して戻してくれる。

―― 添削は具体的なんですか? 

小林 結構具体的だったと思います。A・B・Cのランクをつけて返ってきて。

―― コメントとかも付くんですか?

小林 付いてましたね。コメントの内容はあんまり覚えてないですけど、結構「A」をいただいたなっていう。

―― すごいですね。お金は当然親が払うわけじゃないですか。親にシナリオライターになりたいって言うのは結構勇気がいりませんでしたか?

小林 あんまりそこは感じませんでしたね。通信教育だし。ただ、やっぱり専門学校に行くって言った時は、さすがに「普通の学校に行っておいたら?」っていう感じで、普通の短大、国文科に行ったんですけど。

就職して、脚本家への夢は自然消滅

―― 大学とかでは、変わらずテレビを見ていた感じですか?

小林 見てましたね。でも、部活は軽音楽部だったので、楽器やったりとかして。

―― バンドはどういうバンドだったんですか?

小林 アン・ルイスのコピーバンドで、私はギターを弾いてました。

―― それで、大学卒業して普通の会社に就職するそうですけど、その時、脚本家への未練みたいなものってあったんですか?

小林 よくある話で、なんとなくだんだん自然消滅していった感じですね。

―― じゃあ、特にもう書こうとかっていうのはなかった。

小林 特にはなかったですね。

◆この後、小林さんは意外な形で脚本家の道に進むことになる。その話は#2で。
#2 「絶対レッドにならないキャラ」にハマっていた松坂桃李くん
http://bunshun.jp/articles/-/4623

#3 「変身しないものは書けない」脚本家・小林靖子が語る特撮と時代劇の未来
http://bunshun.jp/articles/-/4624

 

写真=鈴木七絵/文藝春秋

こばやし・やすこ/1965年東京生まれ。93年『特捜ロボ ジャンパーソン』第40話でデビューを飾る。『仮面ライダー龍騎』『美少女戦士セーラームーン』『烈車戦隊トッキュウジャー』『侍戦隊シンケンジャー』などの東映作品のほか、アニメ『ジョジョの奇妙な冒険』『進撃の巨人』、Amazon動画配信『仮面ライダーアマゾンズ』など多くの脚本を手がけている。