コロナ禍によって国民生活の娯楽にも様々な制限がかかる昨今。とりわけ、飲食店での酒類の提供禁止は大きな波紋を広げることになった。
1933年、日本が戦争へ向かう昭和の時代にも、同様に娯楽への取り締まりがピークを迎える事件があった。ジャーナリスト・小池新の『戦前昭和の猟奇事件』が1冊の本になるのを機に、当該の事件について再公開する。
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「有閑夫人の性遊戯」「美貌を種に有閑女群と…」
その後、各紙は競ってダンスホールの話題を書き立てる。11月9日付東日家庭欄は「有閑夫人の性遊戯」の見出しでダンスホールに集まる女性を「彼女たちははたして人の子の母であろうか。また、妻となろうという人々か。その心境に鋭いメスを下すことこそ、世のかかる風潮への警告になることであろう」と断罪。「ホールは不愉快」「現在のホールは危険」「夫にも責任がある」などの識者の見解を紹介している。
「フロリダにもまた 不良舞踏教師」(東朝11月15日付夕刊)は、赤坂溜池のダンスホール「フロリダ」の主任ダンス教師が「美貌を種に有閑女群と醜行を重ねていた」として召喚、取り調べを受けているという記事。「同人を取り巻く女性の主な者は元ダンサーの日活某女優(20)、某男爵令息夫人(37)、某画家夫人(34)、銀座某商店の姉妹、サロン春の女給などなど多数が数えられ」と書いている。
フロリダは1929年8月に開業した大型店で「『黄金時代』を迎えた東京ダンスホール群にあって、他のホールを寄せつけない『あかぬけた雰囲気』をかもし出すようになる」(「社交ダンスと日本人」)。来日した映画スターのチャーリー・チャップリンやダグラス・フェアバンクスも訪問。日本の作家では菊池寛、大佛次郎、久米正雄、片岡鉄平、徳田秋声らが集まった。
作家北村小松は同店のナンバーワンダンサーと結婚。ダンサーだった桑野通子はのちにスカウトされて松竹蒲田撮影所のスターになった。当時のダンスホールが社交界ばかりでなく、文化・芸能とも関わる存在だったことが分かる。
「男女相擁して踊るのである」
これに対し、取り締まる側はどういう見方をしていたのか。重田忠保「風俗警察の理論と実際」は事件当時、警視庁保安課長だった人物が翌年の1934年に出版した。
そこでは「社交ダンスそのものはもちろんなんら悪いものではない」と言いつつ、西洋では日常茶飯事の社会的風習や社交で取り締まりは問題にならないが、「風俗や民情を異にするわが国ではそう簡単にいかない」とする。「ともかく、男女相擁して踊るのである。風紀上の取り締まりはゆるがせにはできない」。
そのうえで社交ダンスについての4つの考え方を示す。
(1)社交の方法あるいは娯楽でなんら弊害のないものだから、警察はあまり干渉する必要はない
(2)元来外国の風習であり、わが国古来の淳風美俗に反するものであるから、むしろ断然禁止すべきだ
(3)社交のためのものであるから、あくまで家庭内、または友人知己の間で行われるべきものであり、ダンスホールは禁止すべきだ
(4)外国では家庭や友人知己の間で行われるものかもしれないが、わが国の風俗習慣上は悪影響が予想される。ダンスホールで職業ダンサーを相手に踊ることは適当な取り締まりを加えれば弊害は少ないから現状通りの方針で進むべきだ