「思っていたことをしゃべっていただけ」。光浦靖子のネガティブな思考とその表現力は、『めちゃイケ』という明るすぎる番組にクッキリとした影を与え、気づけば女性芸人のトップランカーになっていた。そして今、『めちゃイケ』が作り上げた「芸人・光浦靖子」を光浦靖子自身がゆるやかに解いていく。「2個目の職業」と「自由」を求めて、50歳の向かう先は。(全3回の第2回/第1回から読む)

光浦靖子さん

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テレビと視聴者の“共犯関係”があった  

――7年ぐらい前なんですが『Quick Japan』(太田出版)という雑誌で『めちゃイケ』特集号がありまして……あの時、私が担当したインタビュー記事に間違いがあって、編集部でめちゃイケメンバーに謝罪に行くというのが番組企画になったんです。

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光浦 ああ、ありました。おぼえてます。シンディ(武田真治)のインタビューの最後が切れちゃって怒ってたやつ。

――私たちは「謝罪してるんだけど、なんかちょいちょい失礼」という立ち位置で、そこをメンバーにツッコんでもらっていたのですが、それがすごく難しくて。迷っていた時に、カメラに映らないところで光浦さんたちが「こうやって」って、助け舟を出してくれたんです。

光浦 あれも今の時代だったら、大変だったでしょうね。その人本人とコントの違いが分からない人が増えちゃったから、クレームだらけだったんじゃないかな。あの時代はまだコントはコントって、どれだけ失礼なことを言っても「絶対台本あるでしょ」って観ている人も分かってくれたけど、今はそれが難しくなっちゃった。

――確かに当時はまだテレビと視聴者の“共犯関係”みたいなものがありましたね。

光浦 そう。だからやりづらくなったよね。リアルコントっていうの、もうできなくなっちゃったんですよね。

 

――光浦さんは『めちゃイケ』でそれをずっとやられていた。ドキュメンタリー担当部門として。

光浦 今思うと倍のお金をもらってもよかったかな。だいぶお金いただいたと思うけど、やっぱりもう倍もらっても全然よかったよなって。人生を振り返るとね(笑)。

「芸人」という肩書きではない  

――先日、爆笑問題さんにインタビューする機会がありまして、その時に太田(光)さんがふと「この間、光浦がラジオのゲストに来て」と。「あんなに面白いのに、『めちゃイケ』っていうすごい番組もやってたのに、なんであいつはあんなに自信がないんだ」みたいなお話をされたんです。『50歳になりまして』には、そういう光浦さんがたくさん出てきて、そこに光浦さん自身が一個一個ツッコミを入れている。

光浦 そうね。爆笑さんがそう言ってくれたのは、本当にうれしかったんですよ。でも、『めちゃイケ』はナイナイの番組であって、スタッフもすごい人たちが動いて作った番組であって、私はそこの一構成員なんですよ。爆笑さんみたいに自分の番組を持ったことなんて一度もないからさ。