選挙は内輪で盛り上がっているお祭り

 選挙期間中、多くの政治団体や政治家が、市民や労働者に「私たちに1票を投じてほしい」「政治参加してほしい」「無党派層こそ投票に行ってほしい」と叫んでいる。いわば風物詩だが、まるで内輪で盛り上がっているお祭りのようだ。大多数の市民は相変わらず、お祭りに参加していない。なぜ半数近い有権者は盛り上がりもせず、投票もしないのか。

 極端に言えば、諦念とともに、生活に関与してくれないお祭りに参加している時間は、市民や労働者にはないのである。「政治参加しなければ状況は変わらない」という意見は正論だが、何度も裏切られてきた市民には届くわけもない。政治によって、労働も福祉も人々の暮らしを過酷なものにしてきている。

貧困と格差は深刻さを増している ©iStock.com

 私は困窮者支援の現場で、年間500件ほどの相談を受けるNPOを運営している。そこで聞こえてくるのは「年金が低すぎて生活ができない」「保険料が毎年上がっており、これ以上は負担が重たすぎる」「病気があってもお金がないから受診できない」「時給が安いので子どもを育てるのに仕事を掛け持ちしなければならない」といった声である。

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 非正規雇用の増加とワーキングプア、そして「下流老人」など、若者から高齢者まで貧困と格差が深刻さを増している。その猛威は、すでに普通に働いている中間層にも襲いかかっている。「中間層崩壊」と指摘される現実が私たちの目の前に現れている。現場の実感としては、どこに憲法25条で掲げる「健康で文化的な最低限度の生活」を享受している国民がいるのか、と思うほどの凄惨な生活実態が広がっている。

望まれているのは常に「雇用」と「社会保障」の充実

 このままでは、日本は少子高齢化がさらに進展し、人口減少とともに経済が立ち行かなくなるだろう。今更かという感覚は拭えないが、安倍首相の「少子高齢化は国難」という表現は大げさでもなく、まさにその認識の共有は必要不可欠だ。

 しかし、政治状況に目を向ければ、保守やリベラル、左派や右派を問わず、まだこの問題の深刻さが十分に知られていない。これまで貧困対策や社会保障政策が主要な政策課題に挙がってこなかったことからも明らかだ。

演説するSEALDs創設メンバーの奥田愛基氏 ©文藝春秋

 国会審議で「国家の一大事だ」とばかりに議論されている憲法9条の改正、安保法制、森友・加計学園疑惑などは、明日の生活もままならないか、将来不安に苛まれている市民にとっては縁遠い議論である。安保法制反対デモを行って注目を集めたSEALDsの活動が停滞を見せたのは、共感するゆとりがない市民があまりにも多いからでもあろう。

 分かりにくい抽象論や遠い世界の話ではなく、現実的な足元の生活課題を議論してくれ、という切実な声は未だに続いている。メディアの問題でもあるが、生活に関する審議状況はなかなか市民に見えてこない。

 世論調査でも市民が政治に望むことは、常に「雇用」と「社会保障」の充実である。要するに、明日の暮らしのことだ。この2点は悪化することはあっても、前進が見られにくい政策課題である。景気回復と言われても何ら実感が伴っていないのも事実だ。