由規の故障と、宮本の肺炎に泣いた2011年
ファーストステージは3位・巨人との間で行われた。前述したように、この対戦は3戦を行い、ヤクルトの2勝1敗だった。もちろん僕も神宮球場に駆けつけていたけれど、正直言えば、まったく負ける気がしなかった。下馬評では「巨人有利」の声もあった。それでも、CSにおけるヤクルトは初戦でリリーフした村中、3戦目に先発した赤川、この日もリリーフした村中が本当に安定していて、ラミレス、小笠原道大、高橋由伸、阿部慎之助、坂本勇人らが名を連ねる巨人の超重量打線をまったく寄せつけなかった。
この日の神宮で、僕は完全に「日本シリーズ進出」を確信していた。しかし、ナゴヤドームで行われた中日とのファイナルステージでは、2勝2敗のタイに持ちこんだものの層の薄さが露呈して力負けしたのも事実。名古屋での思い出は11月3日の第2戦。中日のアドバンテージの1勝を含めて0勝2敗とされたヤクルトは、流れを変えるべく、この日の一番打者にルーキーの山田哲人を起用。結果を残すことはできなかったけれど、未来のスターの記念に残るプロデビューとなった……。
――さて、なぜ2011年をしつこく振り返ったのか? 未来に希望が持てないから、単に過去を振り返っていたのでは、もちろんない。答えは一つ。来季からヤクルトを率いることになる、小川淳司新監督、そして宮本慎也ヘッドコーチが、僕がインタビューした際にともに口にしたのが「2011年シーズンほど、悔しい一年はなかった」という言葉だったからだ。
首脳陣のツートップがともに「2011年ほど悔しいシーズンはなかった」と語っているのだ。そして、僕にとっての「2011年」とは、ペナントレース終盤までは圧倒的な力を誇ったものの、由規が右肩を痛め、相川が右手親指を骨折し、宮本が肺炎で離脱したことで一気に終息していったシーズンだった。そしてその象徴が、ファーストステージでは完勝したものの、最後は力負けしたこの年のCSのイメージにピタリと重なるのである。
2017年のCSを見ながら、僕は11年のCSを未練がましく思い浮かべているのである。僕が話を聞いたとき、小川新監督、宮本新ヘッドはともにスーツ姿だった。しかし、彼らはついにユニフォームを着て神宮球場に戻ってくるのだ。あのときの雪辱を晴らすべきときが、ついに訪れた。現在、世間の目は間違いなく広島と福岡に向いている。しかし、神宮球場に隣接するコブシ球場、そして室内練習場では、黙々と捲土重来に向けての研鑽を積んでいるスワローズナインがいるのだ。
冬来たりなば、春遠からじ――。そんな心境で、僕は今日もテレビの前でCSの激闘を見つめているのである。