1ページ目から読む
2/2ページ目

村上、山田の強い言葉。稲葉監督は「オリンピックの借りはオリンピックで返す」と

 先日、村上にインタビューをした。その詳細は来週27日発売の『週刊SPA!』に掲載されるが、当然話題は東京五輪への意気込みが中心となった。村上の言葉は力強かった。プレッシャーや不安を感じつつも、「必ず金メダルを獲る」と断言した。また、20日付のサンケイスポーツで、山田哲人は「怖さ、不安の方が強い」と言いつつも、「絶対負けない」と言い切った。両雄の力強い言葉に期待したい。

 01年、ヤクルトが日本一になったとき稲葉篤紀は驚異の3番打者として大活躍した。あれから20年のときが流れて、稲葉は「監督」となった。しかも、侍ジャパンの監督だ。17年の監督就任から、この大会に向けて着々と準備を整えてきた。僕はふと、4年前のあの日のことを思い出す。

 その日、僕の目の前には日本代表監督を退任したばかりの小久保裕紀氏がいた。13年10月に常設化された侍ジャパン監督として1278日間にわたって日本代表チームを率いた心境を、この頃定期的にインタビューしていたのだ。取材途中、小久保氏の携帯が鳴った。いつもなら「このまま取材を続けましょう」と電話に出ないのだが、この日は違った。ふと、手元の携帯に目をやると、小久保さんは「あっ……」と小さくつぶやき、僕に向かって「ちょっといいですか?」と言うと、通話を始めたのだった。

ADVERTISEMENT

「うん、そうか、決めたか。大丈夫。お前の好きなようにやればいいから。何か困ったことがあったら、いつでも連絡してくれ。何でも力になるから……」

 そんなやり取りがしばらくの間続いた。その会話の内容から、次期監督候補とウワサされていた稲葉氏からの電話だとすぐにわかった。具体的な個人名や事例を挙げつつ、両氏のやり取りは続き、やがて「じゃあ、また電話するから」と小久保氏は電話を切った。

「稲葉からでした……」

 そこからしばらくの間、稲葉新監督についての話題となり、小久保氏は「稲葉なら大丈夫」「稲葉はやりますよ」と何度も口にした。実際に19年のプレミア12では日本に10年ぶりの「世界一」の称号をもたらした。野村ID野球を学び、生前の野村克也氏も「稲葉は監督向きだ」と口にしていたこともある。最近の『週刊ベースボール』誌上において、稲葉監督は「オリンピックの借りは、オリンピックで返す」と発言。メダルを獲得できなかった北京五輪の雪辱を期している。

 山田と村上が豪快な一打をかっ飛ばし、マクガフが(日本戦以外で!)快刀乱麻のピッチングを披露し、そして8月7日の決勝戦では稲葉監督が歓喜の胴上げを全世界に見せつける。これこそ、「ヤクルトファン的理想の東京五輪」ではないか。

 グループステージ、ノックアウトステージと続く、実にわかりにくい大会レギュレーションではあるが、最短で5試合、最長で8試合5勝3敗で金メダルに手が届く。7月28日の大会初戦。山田はどこを守り、村上は何番を打ち、稲葉監督はどんな采配を見せるのか? 楽しみと期待と不安の入り混じった11日間が、いよいよ始まる――。

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム ペナントレース2021」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/47172 でHITボタンを押してください。

HIT!

この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。