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さようなら、私たちが愛した“火の玉ストレート” 中日・木下雄介投手を悼む

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/08/09

 こんなことがあっていいのか。神様なんていないんじゃないのか。

 中日ドラゴンズ、木下雄介投手の訃報に接したときの正直な気持ちだ。入団5年目の27歳。早すぎる。悔しい。悲しい。

 球団の発表によると、7月6日の練習中に倒れ、救急車で病院に搬送されたが意識が戻らず、8月3日に亡くなったという。死因は公表されていない。ご家族の意向により、球団からは取材の自粛が要請されているので、私たちはこれ以上何も知ることはできない。静かに見送るだけだ。それでいいと思う。もっとも深い悲しみに包まれているご家族の気持ちを何よりも大切にしたい。

 それにしても、私たちの愛するチームの現役選手が亡くなってしまうなんて思いもしなかった。

 7日の東京五輪・野球決勝も、どこか虚ろな気持ちで見ていた。懸命に戦った選手たちには申し訳ないが、日本が金メダルを獲得しても喜びに浸ることはできなかった。表彰式で大野雄大が金メダルを天にかざしたとき、ようやく我に返ったような気がする。

 神様は残酷だ。木下雄介の人生は試練と逆境の連続だった。神様はどこまで彼に試練を与え続けるのかと思っていたが、最後にとんでもないことをやらかしてくれた。ドラゴンズファンならすでに知っていると思うが、あらためて彼の歩みを振り返っておきたい。

木下雄介

「あんたは、ドラゴンズの選手の皆さんに、救われとるんね」

 徳島・生光学園高から駒沢大に進学したが1年で中退する。右肘の故障が原因だったが、何度も木下雄介を取材していたCBC宮部和裕アナによると、どうやら他の原因もあったようだ。失意のうちに地元大阪へ帰り、アルバイトと遊びを繰り返す日々を送っていたが、ある日、たまたま上がった草野球のマウンドで150キロを計測。「あなたのあんな笑顔、初めて見たわ」と語った恋人――現在の夫人が、野球の世界への復活を後押しした。

 一度は不動産関係の会社に就職したものの、高校四国選抜チームで一緒だった増田大輝(現・巨人)が徳島インディゴソックスでプレーしている姿をSNSで知って奮起。増田を介して同チームに練習生として入団する。面談を行った当時の球団代表の坂口裕昭氏は「まさに野武士の目。野武士ですよ」と印象を語っている。笑顔が増えてきたプロ野球選手の公式の写真の中でも、木下雄介はひときわ険しい顔をしているが、あれが「野武士の目」なのだろう。

 徳島で実績を積み、将来性を買われて2016年の育成ドラフト1位でドラゴンズに入団。ドラフトにかかったときは思わず叫んで、3週間前に生まれたばかりの長女が泣き出したという。年俸は300万円。入団会見はベビーカーを押して、妻と長女の3人で臨んだ。ドラフト同期は柳裕也、京田陽太、石垣雅海、笠原祥太郎、藤嶋健人、丸山泰資。現在と未来のドラゴンズを支えるすごいメンツが揃っている。木下雄介もその一員になるはずだった。

 2018年に支配下登録を勝ち取って背番号は「98」に。このときは妻が叫んだそうだ。支配下登録された直後に登板した試合では、セカンドを守っていた荒木雅博(現コーチ)に「どんどん向かっていけ」と声をかけられ、8月の二軍戦では岩瀬仁紀(現解説者)に「今はとにかく腕を振っていけ」とアドバイスを受けた。

 一軍を目指す木下雄介に逆境が訪れたのは2019年7月のこと。愛する父が突然の事故死。「仕事は絶対に休むな」という父の教えを守って二軍戦のマウンドに立ち、その後、大阪の実家に向かった。翌日の通夜にはドラゴンズの同僚らが参列。そのときの母親の「あんたは、ドラゴンズの選手の皆さんに、救われとるんね」という一言が、独立リーグ時代から“一匹狼”を貫いてきた木下雄介の人生観を変えたという。