葛飾北斎ほど、国内で過小評価されている芸術家も他にいない。もちろん名は通っているものの、普通はせいぜい「赤富士とか波の浮世絵を描いた人ね」くらいの認識では? そもそも生前だって、売れっ子ではあったが経済的にはたいして恵まれぬまま生涯を送った。
ところが、そんな北斎を見る海外の目はやたら熱い。世界の美術史を通覧する際には、レオナルド・ダ・ヴィンチら超一級の巨匠と並び称されることもしばしば。控えめにいっても、19世紀における世界最高峰の画家のひとりと目される。後世への影響力も大きく、印象派以降の西洋画家で北斎のインパクトに打たれなかった者がいるだろうかというほどだ。
西洋近代絵画の源流となった北斎の作品と、それを受容した西洋美術を合わせて展示する意欲的な展覧会が始まっている。東京・上野、国立西洋美術館での「北斎とジャポニスム」展。
北斎が西洋に巨大なインパクトをもたらす
江戸の世で鎖国を続けた日本が、広く西洋へ扉を開いたのは19世紀半ばのこと。日本の文物が西洋へと流入し、そのなかに北斎らの浮世絵も多数混じっていた。西洋の流儀と根本から異なる絵は「こんなの見たことない!」と大きな驚きをもたらした。
西洋の絵描きたちは強い反応を示した。彼らの目には、浮世絵がとにかく新奇に映った。事物をすこしでもリアルに描こうとして西洋美術が必死で編み出した遠近法や陰影法を、まるっきり無視した構図と描き方。絵の中心に据えるべきテーマや観る側が読み取るべきストーリーが存在せず、取るに足らない事物を平気で描いてしまう大胆さ。和紙と独自の顔料によって生み出される、油彩画ではまず出せそうにない色合い。すべてが斬新。
タイミングもよかった。そのころの西洋画家たちは、ルネサンス期から何百年にもわたり積み上げられてきた美術規範に閉塞感を感じていた。新しい風を強く欲していた。そこで日本絵画からの刺激をさっそく自身の創作へ取り入れたのが、モネ、ルノワール、ドガ、ピサロ、カサットといった面々。そう、のちに印象派と呼ばれるようになる画家たちだった。
従来の決まりごとを排した印象派は、事物の形ではなくそこに降り注ぐ光を中心に据えて画面を構成した。描くのは身近なモチーフ。それを見えるままの色で表した。そうした印象派の際立った特長は、日本美術からの刺激があってこそ確立されていったものだ。