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圧倒的な筆力と発想力が武器

 浮世絵を中心とした日本美術が西洋に与えた大きな影響の総体を、ジャポニスムと呼び習わす。19世紀後半の西洋文化はジャポニスムに覆い尽くされたといえるほど、日本の美は広く深く浸透していった。ジャポニスムをもたらした作家として、とりわけ大きな存在感を放つのが葛飾北斎である。

 幾人もいる浮世絵師のうち、なぜ北斎に注目が集まったのか。まずは彼の圧倒的な筆力によるところが大きい。観察力に秀でて、見たものに正確なかたちを与えることのできる北斎は、森羅万象なんでも描いた。その画題の幅広さに触れて、西洋画家はいかに自分たちが決まりきったテーマや方法に固執していたか思い知らされたのだ。

 北斎の描写は、動きを捉えることにも優れていた。乾きが遅く絵の完成までに時間のかかる油彩画では、どうしても静的な表現が多くなる。瞬間を捉えるのが難しいのである。それに比べて北斎の筆致はいかにも活き活きとして、生命感にあふれていた。

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ポール・セザンヌ《サント=ヴィクトワール山》1886-87年 油彩、カンヴァス 59.7×72.4cm 
フィリップス・コレクション、ワシントンD.C.The Phillips Collection, Washington, D. C.

 前景に竹やぶを描いてほとんど画面を覆ってしまったり、実際の縮尺とは関係ないサイズで自在に富士山を画面内に配したり。自由闊達な画面構成も北斎はお得意だった。「冨嶽百景」「冨嶽三十六景」などのように同じモチーフを繰り返し描くのも、ありそうでなかった手法。これをヒントにモネは積み藁や睡蓮の連作を、セザンヌは故郷に聳えるサント=ヴィクトワール山の連作を描くこととなる。

印象派と北斎の競演

 19世紀西洋における最良の教師たる北斎の作品と、よき生徒となった西洋近代美術の作品を、併せて展示しようというのが「北斎とジャポニスム」展だ。北斎の芸術がいかに西洋で摂取され、活かされてきたかを実作によって明らかにしてくれる。

(左)葛飾北斎『北斎漫画』十一編(部分)刊年不詳 浦上蒼穹堂
(右)エドガー・ドガ《踊り子たち、ピンクと緑》1894年 パステル、紙(ボード裏打)66×47cm 吉野石膏株式会社(山形美術館寄託)

 実際に並べて展示してあるから、わかりやすいことこの上ない。たとえばドガの《踊り子たち、ピンクと緑》の脇には、『北斎漫画』の冊子が開いて置いてある。そこに出てくる裸の男性と、ドガの踊り子のポーズはそっくり。ドガは『北斎漫画』をよく眺めていたことが知られている。セザンヌ《サント=ヴィクトワール山》と《冨嶽三十六景 駿州片倉茶園ノ不二》は、比べて見れば構図がぴたりと重なる。

(右)葛飾北斎《冨嶽三十六景 東海道程ヶ谷》1830-33(天保元-4)年頃 横大判錦絵 25.7×37.8cm ミネアポリス美術館 
Minneapolis Institute of Art, Bequest of Richard P. Gale 74.1.237 Photo: Minneapolis Institute of Art
(左)クロード・モネ《陽を浴びるポプラ並木》1891年 油彩、カンヴァス 93×73.5cm 国立西洋美術館(松方コレクション)

 構図の類似でいえば、《冨嶽三十六景 東海道程ヶ谷》は、モネ《陽を浴びるポプラ並木》に踏襲されている。並木によって画面にリズムを生み出しているのだ。メアリー・カサット《青い肘掛け椅子に座る少女》に描かれた少女の退屈そうなポーズは、『北斎漫画』の微笑ましい布袋のリラックスポーズと共通点が見出せる。

 なるほど芸術とはやはり、他者と影響を与え合いながら進展していくものなのだと感じ入る。真似した真似されたとか、どちらが本家だ云々といった争いなんていかにくだらないことか。北斎と印象派画家たちが教えてくれている。