1ページ目から読む
2/4ページ目
「啓代、何をやっているの?」と不思議がられた
「スピードは順位的にうまくいったと思うんですけど、一番得意なボルダリングで一個も登れずに心が折れそうになりました。でも3種目めのリードは私の現役最後のクライミングになるので、体力的には限界だったんですけど、気持ちでプッシュしました」
スポーツクライミングは、15mの壁を何秒で登れたかを争う「スピード」、制限時間内に複数のコースを幾つ登れたかを競う「ボルダリング」、そしてロープをつけてどこまで高く登れたか争う「リード」のコンバインド(複合)競技。スピード、ボルダリング、リードの順位の掛け算で争われ、数字が少ないほど上位になる。
金メダルを獲得したのはヤンヤ・ガンブレット(スロベニア)。野中生萌(みほう)は銀メダルを獲得。表彰台を日本人2人が占めた。この光景は、野口にとって金メダル以上の価値があったに違いない。
野口が本格的にクライミングに取り組んだ16年前、日本でこの競技を知る人はほとんどいなかった。高校1年で出場した世界選手権。野口は日本勢で唯一決勝戦に進み、リードで3位入賞という快挙を遂げた。高校の朝会でこの快挙が報告されたとき、
友人たちから「啓代、何をやっているの?」と不思議がられたという。
当時は日本に練習場もなく、牧場を経営する父が牛舎を改造して作ってくれたクライミング施設で一人練習していた。海外遠征は自費。今のように協会や企業の支援もなく、エアチケットもホテルも自分で手配した。