開会式直前の関係者“辞任ドミノ”に始まり、メダル候補のまさかの敗戦やダークホースによる下馬評を覆しての戴冠劇、コロナ禍で開催され、明暗含めて多くの話題を呼んだ東京オリンピック。ついにその長い戦いも閉幕しました。そこで、オリンピック期間中(7月23日~8月8日)の掲載記事の中から、文春オンラインで反響の大きかった記事を再公開します。(初公開日 2021年7月31日)。
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赤いブレイズヘアに赤白のシュシュ、真っ赤なワンピースウェアに白いラケット、赤いリストバンドに白い時計———。少なくともファッションでこれほど大胆に<日本>をアピールしたアスリートが他にいただろうか。それができるかどうかは競技にもよるが、大坂なおみはテニスという競技のファッション性と自身が持つ個性を最大限に生かし、全身をジャパンカラーでコーディネートして初めての五輪の舞台を戦った。まるで、日本代表として東京に立つ自分自身を祝福するかのように。
将来の目標は「オリンピックに出場すること、そして幸せになること」
まだ日本で一般的にはその名前すら知られていなかった頃、大坂は将来の目標を尋ねられるとこう答えていた。
「ナンバーワンになること、できるだけ多くのグランドスラム・タイトルを取ること、オリンピックに出場すること、そして幸せになること」
世界1位を目指し、複数回のグランドスラム優勝を目標として口にする選手なら、バランス的にふさわしい3つ目の目標は「オリンピックで金メダルを取ること」だろう。しかし、大坂にとってオリンピックは出場そのものが夢だったのだ。複雑なバックグラウンドの中で抱いたピュアな心情を、私たち多くの日本人はどこまで理解できていただろうか。
日本人の母とハイチ系アメリカ人の父の間に大阪で生まれ、3歳のときにはニューヨークに渡るが、14歳から参戦しているプロサーキットでは初めから日本国籍を登録して戦ってきた。以前、その理由を尋ねると、「日本の文化が好きで日本の人たちも好きだし、私はシャイな性格で、日本人というほうが自分の中ではしっくりくる」と答え、「それと、東京オリンピックに日本人として出たいから」と続けた。
少女時代からの夢だった世界1位もグランドスラム優勝も叶え、人生をダイナミックに変えた大坂が今でも「内面は日本人」という感覚のままでいるかどうかは、確認してみたことがないのでわからない。しかし、日本の法律で22歳の誕生日までと定められている国籍選択にあたって、日本を選んだという事実には「日本人として東京五輪に出たい」という思いが貫かれている。
出場することこそが目標だった大坂は、あれよあれよという間に有力な金メダル候補となり、最終的にはこの東京五輪が掲げる理念を象徴する存在としてそこに立つことになった。開会式のクライマックス———聖火台へ点火をするリレーの最終走者として。