開会式直前の関係者“辞任ドミノ”に始まり、メダル候補のまさかの敗戦やダークホースによる下馬評を覆しての戴冠劇、コロナ禍で開催され、明暗含めて多くの話題を呼んだ東京オリンピック。ついにその長い戦いも閉幕しました。そこで、オリンピック期間中(7月23日~8月8日)の掲載記事の中から、文春オンラインで反響の大きかった記事を再公開します。(初公開日 2021年7月28日)。
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これが本当に、あの瀬戸大也の姿なのだろうか。
目を疑う光景が続いている。東京五輪初日の男子400m個人メドレー予選に出場した瀬戸は、この種目で金メダル獲得を命題として5年間、練習と試合を積み重ねてきた。2019年のFINA世界選手権(韓国・光州)での200m、400m個人メドレー2冠、200mバタフライでの銀メダルという快挙すら、すべて東京五輪の400m個人メドレーで金メダルを獲得するためのもののはずだった。
「東京五輪の400m個人メドレーで金」という目標
瀬戸がこれだけこの種目に拘泥するのは、理由がある。幼いころから得意としてきたというだけではなく、同い年のライバルである萩野公介に中学生時にはじめて勝った種目でもあり、はじめて世界一に輝いた種目でもあるからだ。そして、5年前のリオデジャネイロ五輪の同種目で、予選で最高の泳ぎをしておきながら、決勝では疲れから失速してしまい銅メダルに終わった。瀬戸にとって400m個人メドレーと言う種目は、競技者としての喜怒哀楽がつまった種目なのである。
だからこそ、目標としていた東京五輪で金メダルを獲りたかった。そのための準備は完璧に行ってきたはずだった。
だが、現実は「9」という数字とともに砕け散った。
瀬戸の頭をよぎったリオ五輪での“失敗”
東京五輪400m個人メドレー予選。最終組に登場した瀬戸は、バタフライ、背泳ぎと順調に飛ばし、気づけば2位以下に1秒以上の差をつけていた。平泳ぎを終わっても、身体ひとつほどの差をキープしたまま。最後の自由形は、スピードを上げても良かったが、そこで瀬戸の頭にあったのは、リオデジャネイロ五輪の“失敗”だった。
「リオデジャネイロ五輪では予選で力を使いすぎて、決勝で思うような泳ぎができなかった」
そこで、自由形で少し力を温存する作戦を立てていた。
300mまで、しっかりといつもどおり泳げていれば、自由形で力を少し温存しても問題なく決勝に進んでいけるはず。そう考えていたが、誤算が生じる。
周囲の4選手が自由形で一気に瀬戸を追い込んできたのだ。それに気づいたが、瀬戸は落ち着いていた。落ち着き過ぎていた、と言っても良いかもしれない。スピードを上げる周囲を横目に自分のペースで泳ぎ切った瀬戸は、4分10秒52でフィニッシュした。