開会式直前の関係者“辞任ドミノ”に始まり、メダル候補のまさかの敗戦やダークホースによる下馬評を覆しての戴冠劇、コロナ禍で開催され、明暗含めて多くの話題を呼んだ東京オリンピック。ついにその長い戦いも閉幕しました。そこで、オリンピック期間中(7月23日~8月8日)の掲載記事の中から、文春オンラインで反響の大きかった記事を再公開します。(初公開日 2021年8月1日)。
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この人がいるとコート内の安心感が違う。
初戦、7月25日のケニア戦で負傷したバレーボール女子日本代表の主軸・古賀紗理那が、大一番の韓国戦から復帰を果たした。だが、手に汗を握るような接戦の末、2-3で敗れた。それでも古賀はチーム最高の27点を決め、決勝ラウンドに進めるかどうかの鍵になるドミニカ戦に期待をつなげた。
それにしてもケニア戦でのケガには肝をつぶした。これまで攻守の要だった古賀が五輪を戦えなくなると、チームは大きなダメージを負うことになる。事実、ケニア戦では1、2セットは大差で勝っていたのに、3セット目の中盤で古賀がコートを去るとその後はシーソーゲームを展開。2戦目、3戦目のセルビア、ブラジルは格上のチームとはいえ、ストレート負けを喫した。
中田久美監督は、自身の五輪3大会出場の経験からあらゆる準備を行っていた。
「五輪は何が起こるか分からない。様々なリスクを想定し、その打開策も完ぺきに考えていたんですが、古賀のケガだけは想定外でした」
それだけ古賀は中田監督の信頼が厚かった。
事実、五輪の前哨戦と言われ、5月下旬から1か月間、強豪16か国で争われたネーションズリーグで古賀は、ベストスコアラー5位、ベストアタッカー4位、ベストレシーバー2位と、個人技の優れた外国人勢の中にあっていずれも上位にランク。攻守に優れた選手であることを世界に見せつけ、日本がベスト4に入る原動力にもなった。
古賀が変わった――。
私がそう思ったのは今年3月。コロナ禍で日本代表の合宿ができず、1年ぶりに集合した記者会見の時だった。オンライン取材ではあったものの、記者たちの鋭い質問に言いよどむことなくテキパキ答え、発言の内容も具体的で深い。報道陣を大いに納得させる受け答えだった。