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中田監督も、荒木を女子バレー界のロールにと考えた
そのたびに荒木は千々に乱れる心を隠し、娘を諭し続けた。
「ママは子供のころからの夢がバレーボール選手だったんだよ。その夢が叶って今、お仕事としてやっているんだよ」
荒木が身体の変化や娘の懇願にも心が折れることがなかったのは、確固たるライフプランを立てていたからだ。引退してから進路に戸惑う女子バレー選手が多い中で、この着実な人生設計は荒木ならではの発想だった。
「09年にイタリアでプレーしていた時、選手の多くは出産して復帰していたし、それが当たり前と捉えられていた。私も日本でその道を作りたいと思ったんです」
中田久美監督も、荒木を女子バレー界のロールにしようと考えた。そのための環境作りを考え、毎年夏前に開催されるモントルーバレーマスターズやワールドグランプリのメンバーから外してきた。
「シーズンの大きな大会は毎年秋に開催されるW杯や世界選手権など。秋の国際大会に向けた合宿から参加してもらえればいい。それまでは子供との時間を大切にしてほしい」
ただし、と中田が語る。
「誰にでも、というわけにはいかない。荒木は現役で唯一のメダリストだし、彼女の経験はバレー界の財産となる唯一無二の存在だから」
中田にこうまで言わしめた荒木だが、若い頃は無鉄砲な選手だった。