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正式な競技大会への出場数は0回…武術家ブルース・リーが“試合”に興味を持たなかった芯の通った“理由”

『友よ、 水になれ——父ブルース・リーの哲学』より #2

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 俳優として数多くのアクション映画に出演してきたブルース・リーは、実際の武術家としても確かな実力の持ち主だったと考えられている。しかし、同氏が競技大会へ出場した記録は残っていない。はたしてその理由とは……。

 ここでは、ブルース・リーの娘であるシャノン・リー氏が執筆した『友よ、 水になれ——父ブルース・リーの哲学』(亜紀書房)の一部を抜粋。武術家としてだけでなく、人間としてどう生きるべきかを考え抜いた男の人生哲学を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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競争なきモデル

 不思議に思うかもしれませんが、ブルース・リーは試合に価値を認めていませんでした。彼は真剣勝負にこそ価値があると信じ、当時の競技大会に出場しなかったという話は前にしました。父は後年、基本的に競争することは個人や精神の成長、さらにいえば武術に秀でるための正しいモデルではないという考えに至りました。競争に身を投じると、自分の外で起こっていることに縛られ、そこに意識が集中する。誰かに勝ったり賞を獲ったりするためだけに、あなたは努力しているのか。それとも、自分が成長するプロセスに興味があるのか。競争は何かにつけて人を勝者と敗者に分類します。協力関係や共創の関係を育むのでなく。競争は私たちを“自分”から切り離し、たがいに争わせます。

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 競争の中では、可能性をフルに発揮できません。自分を隅々まで観察して独自の経験を最大限つくり上げるのでなく、勝つことだけに執心してしまうからです。私たちは勝つために何百時間もかけて相手の能力を分析しながら、自分自身については非常に限られた情報しか学んでいないのではありませんか? この競争というモデルにおいて私たちが学ぶことは、「本当の自分になるための何を自分は持っているか」ではなく、「自分にない何を相手は持っているか」になってしまう。