【冒された病弊をすべて取り除こうとする欲望】
私はいまのままでは大丈夫ではない。自分をよくするためにつねに自己鍛錬し、できるだけ多くの本を読み、講座を受講している。そうすれば、たくさんくだらないことを続けていたとしても、つねによい人になろうと努力していることが伝わるだろうから。いまのままではだめだとわかっている。そしてあなたも、いまのままでは私がだめなことを知っている。でも、私が努力しているように見えるかぎり、本当の意味でよくならなくてもかまわない。
自分の小細工に気づく意識、自分の痛いところを感じる自由
これらの罠にはどれも「外から認められたい」という執着があり、それはいずれ人々と状況から私たちを切り離してしまいます。そこにあるのは、“相手”を操縦したい、あっと言わせたい、威圧したいという欲望だけ。病から抜け出したいという健気な欲望にさえ、自分を“苦しめられている人”と特徴づけたい気持ちが潜んでいて、それゆえ自分自身の力を否定しています。
自己分析のツールとしてこれら六つの病を挙げたのは、他者と関わるとき誰もがこういうことに染まってきたからです。自分の中にこのうちのどれかがあることに気づけますか? もう少し深く掘り下げたら、この病の原因である自分を傷つけるような物事の受け止め方に気づいて、治療を始められますか? 自分の小細工に気づく意識、自分の痛いところを感じる自由を持ちましょう。このような病は、頭とエゴから生まれる妄想にすぎないことに気づいてください。
結果を考えてはいけない
まわりの人が自分に厳しいと愚痴をこぼしていませんか? その自分はどうですか? 人を非難していますね。人が優しく接してくれないからと、人に冷たい態度を取っていませんか? つまり、あなたは人に優しく接していないのです。誰かのことを「陰口を叩く人」と、陰口を叩いていませんか? 自分を好きになるのが“正しい”ことなのに、好きになってくれないからあなたは怒っている。いい態度ではありません。鏡を見て理解しましょう。あなたは治療法を見つけて完治しようとはせず、病の人生を延長しようとしていることを。
これらの病はいずれも罠で、あなたを孤立させて成長を止めようとします。勝利を追い求めたり他者の目を通した承認欲求を満たそうとしているとき、あなたはつねに自分の成功を外に求めていて、自分自身に握らせていません。そうすることで本当の自分から自分を遠ざけています。結果への執着は、本当の自分への愛着を否定することになるのです。
携わっていることに結果を期待するのは大きな間違いだ。勝つか負けるか、結果を考えてはいけない。戦うべき相手などなく、実体のない幻にすぎないと理解することだ。
【前編を読む】「参ったか?」ブルース・リーに叩きつけられた華人街からの挑戦状…禁じ手なしの“真剣勝負”の一部始終に迫る