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《旭川14歳少女イジメ凍死》“遺族の手記”全文公開「お母さん、死にたい」爽彩さんは2度母親に訴えた

《旭川14歳少女イジメ凍死》“遺族の手記”全文公開「お母さん、死にたい」爽彩さんは2度母親に訴えた

旭川14歳少女イジメ凍死事件 ♯23

genre : ニュース, 社会

 今年3月、北海道旭川市の公園で凍った状態で発見された廣瀬爽彩さんの遺族の代理人(石田達也弁護士)が8月18日、旭川市内で記者会見を開き、遺族の手記を公開した。

 文春オンラインでは、これまで、失踪直前まで爽彩さんが凄惨なイジメによるPTSDに悩まされていた事実などを報じてきた。これらの報道を受け、今年4月旭川市はイジメが実際にあったかどうか再調査を開始するなど、第三者委員会による調査が進められてきた。遺族は今回公表した手記の中で、「爽彩に何があったのか、真相を明らかにして欲しいと願っています」と改めて訴えた。

 今回公表された「遺族の手記」全文は以下の通りである。

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爽彩さんの幼少期の写真

 ◆

 遺族の手記

 2021 年 8 月 18 日

 廣瀬爽彩の遺族 

 今年2月13日、爽彩は、失踪しました。それから約1ヶ月後、爽彩は、近くの公園で発見されました。その現実を受け入れられないまま、いつかまた帰ってくるのではないか、戻ってくるのではないか。そんな気持ちのまま、時間だけが過ぎています。どうして、もっと早く爽彩を見つけてあげられなかったのか、いまも悔いています。

 小学生の頃の爽彩は、元気いっぱいの女の子でした。ちょっと目立ちたがりなところがあり、声が大きく快活で、みんなを引っ張っていく明るい女の子でした。学芸会では、元気な合唱を披露し、演劇では、長いセリフもすらすらとこなし、目立つ役どころを演じていました。ナレーションを担当しながら、舞台の役もこなす。そんな姿に、みんな感心していました。小学生の頃から勉強が好きで、算数を得意科目にしていました。小学生ながら自分なりに方程式を見つけ出し、習っていないやり方で難しい問題をすらすらと解くことがありました。

廣瀬爽彩さん

 2019年4月、中学に進学してからも、爽彩は、学校が大好き、塾も大好きでした。爽彩は、入学してすぐ、学年委員長と学級副委員に1年生の代表として立候補しました。2年生になったら生徒会に入りたい、そして将来は生徒会長になって、みんなのために頑張りたい、ということをよく話してくれました。部活では「合唱部に入りたい」と話していました。爽彩は、いつもキラキラした目を輝かせながら「いつか生徒会で頑張る」と元気いっぱいで、小学生の頃よりも、ずっと生き生きしていました。中学生活を、生徒会長で終わりたい、部活もやりたいし、塾も行きたい、という夢を抱きながら、希望に満ちた中学生活を送り始めました。