きょう11月6日は、元プロテニスプレイヤーの松岡修造の誕生日である。1967(昭和42)年東京生まれの50歳。いつからか熱血キャラとしておなじみとなり、「彼が日本を離れると気温が下がる」という冗談まであるほどだ。2014(平成26)年には、松岡の熱い名言を日めくりカレンダーにした『まいにち、修造!』(PHP研究所)が発売され、ベストセラーとなった。スポーツキャスターやタレントとして多くのテレビ番組に出演するほか、指導者としても、主宰するジュニアキャンプで11歳だった錦織圭の才能を見出すなど、実績を残している。
テニスを始めたのは、慶應義塾の幼稚舎(小学校)4年のとき。慶應高校に入るとモチベーションが下がってしまい、しばらく練習をサボっていたが、これではいけないと気づき、心機一転、福岡の強豪・柳川高校に転校した。慣れない寮生活のなか、再びテニスに打ち込んだ松岡は、高2のとき高校総体でシングルス、ダブルス、団体戦の三冠王を達成するまでになる。このあとさらに高みを目指し、高校を中退してアメリカに渡ると、ボブ・ブレッドコーチの厳しい指導を受けながら19歳にしてプロに転向した。以後、1995年にはウィンブルドンで日本人選手としては62年ぶりにベスト8進出をはたすなど、輝かしい成績を収める。だがその陰で、壁にぶつかることも少なくなかったという。ケガや病気にも何度となく悩まされた。そのたびに「なぜ自分ばかりこんな目に遭うんだ」と苛立ちや挫折感を覚えながらも、やがて「どうすれば早く復帰できるのか」と考え方を切り替えることで、前向きになれたという(『日経ビジネス Associe』2016年8月号)。
1998年にプロツアーを“卒業”してからは、キャスターなどの仕事を通じ、アスリートを応援する立場に徹している。「応援しながら選手の情報を伝える今のポジションも、天職だと思います」(『日経ビジネス Associe』2016年9月号)と語る松岡は、3年後には東京オリンピックを控え、熱血ぶりに拍車をかけようとしている。