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森村誠一「うつ病を乗り越えた夫婦の証明」妻が明かす老人性うつ病、認知症との壮絶な戦い

「文藝春秋」2021年9月号より

note

自分の頭をげんこつで叩いて

 最初にうつ病と診断された時は、主人が一人で受診したので、先生との間でどのようなやりとりがあったのかは分かりませんが、帰宅して「どうだったの」と私が訊ねたら、「うつ病らしいよ」と、しょんぼりしていたのを覚えています。

 主人の症状の特徴は、いま話していたことを口にしたそばから忘れてしまうことです。それがストレスなので、私に「いま言ったことを紙に書いてくれ、書いてくれ」と、繰り返し頼むようになりました。

 言葉が出てこなくて、主人が自分の頭をげんこつで叩いている姿を見たことがあります。主人は温厚な性格で、病気になる前は原稿が進まなくてもイライラしたり、モノや周囲に当たったりするようなことはありませんでした。そんな主人が自分に当たっている姿を見ていると、私もつらくなりました。

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森村千鶴子さん

書けなくなった作家は「化石」

 主人は作家ですから、言葉を忘れていくことに強い恐怖感を覚えていたのです。今年の2月に『老いる意味 うつ、勇気、夢』(中公新書ラクレ)という本を出していますが、そこには言葉が出ないことに対するつらさを、自分の言葉で書いています。

〈頭から言葉が消失していくことなどはあってはならない。

 

 書けなくなった作家は「化石」である。

 

 作家にとって、言葉を忘れることは「死」を意味する。

 

 簡単には死ねないのである。〉

 そのうちに主人は、頭の中に浮かんだ言葉をチラシの裏へ書きだして、家中に貼りつけるようになりました。「処方箋」「漢方薬」「ストレス」「認知症」……ある言葉から連想される別の言葉を紙に書いては、玄関の扉やトイレのドア、寝室の入り口と、ところかまわず家中に貼りだすようになったのです。

写真はイメージ ©iStock.com

 このときの心境を、本にはこう書いています。

〈言葉を書いた紙が取り止めもなく貼ってある。それを見ながら、私の脳からこぼれ落ちかけた言葉を拾いだし、それを脳へと戻していく。必死であった。

 

 こうしたやり方にどれくらいの効果があるかはわからなかった。だからといって、何もしないわけにはいかなかった。言葉を失いたくなかったのである。

 

 まだまだ小説を書きたい――。〉

 主人の焦りは私にも痛いほど伝わってきました。でも、「元気を出して」とか「頑張って」と励ますのはよくないと聞いていたので、ただ見守ることしかできませんでした。