ふと三塁側を見ると、駒大苫小牧の香田誉士史監督が、ベンチ前に立っている。仁王立ちだ。豪雨にさらされるグラウンドを、凝視していた。
あとから聞いた話だが、このとき香田監督はベンチで、「試合はできる! ここは甲子園だからできる!」と叫んでいたという。天気予報が何を告げても受けつけず、甲子園だったらできる、その一点張りだったらしい。
そこまで私たちを信頼してくれているのかと、胸を打たれた。
もちろん勝っている試合だったということもあるかもしれないが、生徒たちにそういう言葉を告げてくれていたこと、それがなにより嬉しかった。
結局、その試合はノーゲームとなり、翌日の再試合で、駒大苫小牧は敗退。仕方がなかったとはいえ、再開できなかったことに胸が痛んだ。
駒大苫小牧が夏の甲子園を制するのは、その翌年のことだった。
審判からの信頼
試合の再開が見込めない天候の場合は仕方がないが、一旦試合が始まったら、できるだけ最後のイニングまで試合ができるようにしたい。それは私たちグラウンドキーパー全員の思いだ。
試合を続けるかどうかの最終的な判断をする審判たちも、できるのであれば続けようという姿勢である。
ときどき、雨でグラウンドがぬれていても、審判が「これぐらいならいけますよ」と背伸び気味の判断をすることがある。「え、これで続行?」と私は内心思いつつ、特に念入りに整備をする。どんな状態であっても選手たちが、整備が済んだグラウンドに入ってきたら、「あ、意外といけるかも」と感じてもらえるぐらいにしたいと思っている。
逆に、審判が「これくらいで十分ですよ」と評価してくれても、「いや、ここはもっとやらなあかんので、待っといてください」と言うこともある。とにかくグラウンドキーパーとしては、選手が足をすべらせてけがをする確率を少しでも下げたいからだ。
試合中に雨が降り出して、グラウンドに水が浮いていたとしても、だれも私たちのところに相談に来ないこともあったりする。
通常なら、雨で中断されている最中に、
「金沢さん、このあと、試合できるでしょうかね?」
などと、審判のだれかが心配して相談しにくる。
そんな声かけを、だれもしてくれないケースがときどきあるのだ。どうやら、雨が上がったらグラウンドキーパーがあっという間にグラウンドを回復させてくれると、当然のように思っているらしい。
そこまで強く信頼してくれるのは、むしろありがたい。
「試合できるでしょうかね?」などと言われても言われなくても、どのみち全力で整備はするのだ。
私たちは、試合に関してなんの決定権も持っていない。吹けば飛ぶような存在だ。
それでも、決定権を持っている関係者は、私たちの意見に耳を傾けてくれるのである。
私たちがいい仕事ができるのは、関係者の人たちが私たちを信頼して任せてくれているからだと、心底思う。