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「これくらいで十分ですよ」「いや、もっとやらなあかん」…意外と知らない“グラウンド整備”時の“せめぎ合い”

『阪神園芸 甲子園の神整備』より #2

2021/08/29
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星野監督からの「ありがとう」

 阪神タイガースの歴代監督からの信頼も、私たちの力の源だ。

 星野監督も、忘れられない一人である。

 阪神タイガースがリーグ優勝を果たした2003年の9月15日、胴上げされる星野監督の姿を、私はタイガースのベンチで眺めていた。

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 監督がグラウンドから戻ってきたとき、たまたま目があった。すると、

「グラウンドキーパー、ありがとう!」

 と言いながら、握手を求めにきてくれたのだ。

星野仙一監督(2003年) ©文藝春秋

 突然のことに驚きながらも、私は嬉しさのあまり、言葉が出てこなかった。

 星野監督に関しては、思い出すたびに面映ゆくなってしまうエピソードもある。その年の春のキャンプの打ち上げでの話だ。セクションごとに球場やチームの代表が前に出て行って、カラオケで歌うことになった。

 当時の選手会長だった桧山選手から、打診があった。

「金沢さん、グラウンドキーパーさんから、1人出てもらえませんか」

「はあ……。そうですね……」

 メンバーを見渡せば若い後輩がほとんどで、居並ぶ大選手たちの前で歌わせるのはかわいそうだ。かといって、辻さんに無理を言って歌ってもらうのも気が引けた。

「自分、行きます」

 歌わざるを得なかった。後にも先にも、あんなに緊張してしまった場面はない。

 真正面には星野監督、周りには2003年優勝メンバーになる超大物スターがひしめいている。私が選んだ曲はTUBE。大好きな歌手ではあったが、あの場面での選曲としてはすべっていただろう。

 曲の一番を歌い終わったところで、割りばしに挟んだ1万円を握らせてもらった。一種の粋なはからいである。

「星野監督からです」

 という声が聞こえた。ただ、その声がだれのものだったか、緊張のせいで記憶にない。

 星野監督が楽天の監督に就任してからは、こんなことがあった。

 交流戦のために甲子園に来たとき、

「テレビ見たぞ。頑張ってるな~! 俺がタイガースで監督してたころは、辻さんの隣でチョコンといとったのになあ~」

 そう、声をかけてくれたのだ。

「テレビ」というのは、たまたま当時放送されたグラウンド整備の特集か何かのことだと思う。私がインタビューに答えているシーンを星野監督も見てくれていたらしい。私がチーフとして星野監督と仕事ができたのは、わずか数ヶ月。そんな中、声をかけてくれたことで、感激もひとしおだった。

 私たちはこの何年後かに、楽天生命パーク宮城でも仕事をさせてもらうことになるのだが、その後押しをしてくれたのは、楽天野球団の副会長になっていた星野監督だった。

 カラオケのことはさておき、星野監督が寄せてくれた信頼は、今の仕事の自信につながっている。

【前編を読む】グラウンドには「シートを張りたくない」が本音?! 阪神園芸スタッフが明かす…知られざる“整備の流儀”

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金沢 健児

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「これくらいで十分ですよ」「いや、もっとやらなあかん」…意外と知らない“グラウンド整備”時の“せめぎ合い”

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