8月24日、全国唯一の特定危険指定暴力団である「工藤会」トップの野村悟被告(74)、ナンバー2の田上不美夫(たのうえ・ふみお)被告(65)の判決公判が福岡地裁101号法廷であった。市民襲撃の4つの事件で殺人などの罪に問われており、野村被告には死刑、田上被告には無期懲役が言い渡された。指定暴力団のトップに極刑の判決がくだるのは、全国で初めてだ。
かつて「暴力の街」「修羅の街」と呼ばれ、工藤会が牛耳った福岡県北九州市。しかし、福岡県警による相次ぐトップ検挙により、屋台骨はぐらつき始めた。現場を指揮した元刑事が、工藤会壊滅を本気で志すきっかけとなったという「倶楽部ぼおるど襲撃事件」の全貌を明らかにしたのが「県警VS暴力団 刑事が見たヤクザの真実」(文春新書)だ。同書の内容を抜粋した記事を再公開する。(全4回の1回目。#2、#3、#4を読む)
(初出:2020/05/20、日付、年齢、肩書きなどは当時のまま)
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手榴弾によるクラブ襲撃事件
平成15年8月18日、月曜日の午後9時過ぎ、ちょうど私が帰宅したところだった。小倉北署担当の捜査員から電話が入った。
「倶楽部ぼおるどに爆発物が投げ込まれました。犯人は(工藤會系)中島組のKです。Kは現場で取り押さえられましたが意識不明です」
「はじめに」で触れたクラブ襲撃事件である。実行犯の工藤會系組員が投げ込んだ手榴弾によって、その店で働いていた女性たち12人が重軽傷を負った。投げ込まれた手榴弾のそばにいた数人は顔面、両手両足に火傷を負い、中には、爆風で足首付近が裂けたり、飛び散ったガラス片などで酷い傷を負った女性もいた。工藤會とは何の関係もない女性たちだった。この事件は全国でも大きく報じられ、工藤會の凶悪性は北九州市民以外にも知られることとなる。
私が到着すると、すでに負傷者は救急隊が病院に搬送し、店の関係者らは小倉北署で事情聴取中だった。私は応急的に現場を検分した。手榴弾の破片が飛び散り、付近を破壊しているはずだが、そのような痕跡はない。だが、ソファがひっくり返り、爆発現場の壁板が割れていた(※写真参照。矢印の先が爆発地点)。壁板を隔ててトイレがあったが、小便器が粉々になっていた。店内のガラス窓は上から壁紙が張られており、壁にしか見えないようになっていたが、爆発現場付近の窓は全て内側から外にガラスが砕け散っていた。つまり強烈な爆風が生じたのは間違いない。
使われたのは米軍製の「攻撃型手榴弾」
事件当時、店の右奥のソファにホステスの女性20名ほどが待機していた。犯人の組員が投げた手榴弾は一番奥にいた女性の頭に当たって、入口側に跳ね返り、トイレとの境の床で爆発したのだった。手榴弾が爆発した場所には浅い窪みができ、床や壁には煤がついていた。その後、ソファの下から手榴弾のピンなどが発見された。使われたのは米軍製の「攻撃型手榴弾」だった。
手榴弾というと通常パイナップル型を思い浮かべると思う。これは「破片型手榴弾」と呼ばれるが、パイナップルのように周りに切れ目があり、爆発の際にはこの外壁部分が大小の破片となって飛び散り、その破片で敵を殺傷するのがこの型である。平地で使用すると、手榴弾を投げたほうにも破片が飛んでくる。
一方、この事件で使われた攻撃型手榴弾というのは、TNT(トリニトロトルエン)という強力な爆薬の爆風で近くにいる敵を殺傷するものである。手榴弾の外壁は樹脂などでできている。直近数メートルの敵を殺傷し、破片型のように投げた人間に破片が飛んでくることはない。攻撃に適しているので、攻撃型と呼ばれている。